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居酒屋:50代半ばから現在

『居酒屋』一覧

母が一人暮らしをあきらめ、私と妻の暮らすこの町にやってきたのは2016年9月10日のこと。

帰省のついでに札幌に一泊し、居酒屋に顔を出すというのがパターンでしたが、帰省の必要がなくなったため札幌で泊まる理由もなくなってしまいました。

しかし年に一度の事とは言え、せっかく付き合いが続いているのですから母ごときのために止めるのもどうかと思い、暑くもなく寒くもない 10月の妻の検診の際に一緒に札幌に行き、店で飲み食いして一泊するという新たなパターンを構築した私達夫婦です 

昨年も 10月の検診の際には一緒に札幌に行き、楽しいひと時を過ごしました 

しかし、それがママとの付き合いの最後の日になってしまうなんて。

・・・ 

行きたくても店はもうありません。

会いたくてもママはもういません。

30年以上も続いてきた思い出が、突然途切れてしまいました 

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居酒屋:50代前半

『居酒屋』一覧

久しぶりに会ったママもマスターも変わりなく、一気に昔に戻ったような気がしましたが、実は数年前にママの体に大腸がんが見つかって手術をしたと知らされました 

妻が子宮体がんの手術を受ける直前のことでしたので、ママに心配ないと言ってもらってずいぶんと勇気づけられたものです。

妻の手術、化学療法も終わり、年に数回の検診になった後も、私の実家への通り道だったこともあって帰省の際には札幌で一泊する行程を取り入れ、年に一度は店に顔を出すようにしていました 

再び通い始めて 6年目の 2014年2月25日、いつものように札幌の夜を楽しもうと店に行くとママの姿がありません。

マスターの話では、前月の 1月にママがくも膜下出血で倒れたとのことです 

本当に危ないところだったにも関わらず、急いで病院に連れて行ったため一命をとりとめ、後遺症も残らなかったのは奇跡的なことだったのですが、それ以降は体力も気力も衰て疲れやすくなってしまったので、あまり店には出たがらないとのことでした。

それでも私と妻が店に行くと、フラフラしながらも顔を見せてくれたのは嬉しい思い出となっています 

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居酒屋:40代半ば

『居酒屋』一覧

約10年ぶりに店に行こうと決めた日、私と妻は互いに約束しました。

たとえ店が潰れて他の店に変わっていようと悲しまない、店があったとして、たとえママとマスターの二人がそろっていなくても悲しまないと 

少しずつ店のあった場所に近づくにつれ、心臓がドキドキしたのを今でも忘れません。

少し離れた場所からでも赤ちょうちんが出ているのが見え、店名も変わっていないと分かりました。

そして店の前でしゃがみ込み、鉢植えの花を手入れしている姿は間違いなくママです 

すぐ近くに立ち止まり、
「久しぶり」
と、かけた声に反応し、こちらを見上げるママの目は、訝しげなものから喜びの表情に変わり、私の手をグイグイと引きながら店に入って
「マスター  マスター
と大きな声で叫びました。

店には年に一度しか行けませんでしたが、その日から再び楽しい時間が動き始めたのでございす。

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居酒屋:30代半ばから40代半ば

『居酒屋』一覧

ママとは 30年以上の付き合いになりますが、実のところ 10年の空白がありまして。

楽しい日々に終わりを告げたのは、私が転勤になったのが原因です 

務めていた会社の本社がある大阪への転勤命令が出てしまったんですよね 

最初の数年は帰省のたびに札幌を経由していたのですが、そのうちに実家のあった町の近くの空港を利用するようになり、その帰省もなかなかしなくなったので、30代半ばから40代の頃は一度も店に顔を出していません。

しかし、このブログにも書いたように妻の兄の大病があったため、10数年の大阪生活に見切りをつけて北海道に帰ってくることになりました。

そして発覚した妻の大病 

その病気の手術、治療に選んだのが札幌の病院でした。

そして再び、居酒屋通いが復活することとなります 

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居酒屋:30代半ば 2

『居酒屋』一覧

火事になってしまった店の一番奥には小さな個室がありました。

そこは 6人くらいが使う程度の広さだったと思いますが、そこに最低でも飲み仲間の 8人、さらに女子社員も加わって 10人以上が詰め込まれ、酸欠になりそうになりながら飲み食いすることもしばしばで 

部屋の奥に座ろうものならトイレに立つのも一苦労、人の背中をまたぐようにして出なければならないんですよ 

それほど当時は忙しい店で、店内はいつも酔客でいっぱいでした。

ある日、予約なしに店に行ったところ、満席だったので帰ろうとするとママが二階を使えと言います 

二階はマスターとママが暮らす住居なのですが、その部屋に案内されて生活感漂う居間のテーブルで飲み食いしたんですよね。

今回の火事は、その居間の床下で発生した漏電が発火源だと聞いています 

あの楽しかった光景と、火災現場となってしまった部屋が同じ場所だとは、どうしても想像することができません 

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居酒屋:30代半ば

『居酒屋』一覧

ママとマスターが開いた店には毎週のように通っていましたが、たまには仕事が忙しくて何週間か行けないこともありまして。

そんな時、どうして来ないのかとママから会社に電話がかかってきたりしたものです 

時にはマスターから
「いいカニが手に入ったんだ」
と電話があり、それならばと店に顔を出すとテーブルに並べられたのはサワガニの唐揚げで
「これのどこがカニだっ
と言い争いになったりしました。

まだ試作段階の料理を味見させられたり、暑い夏の夜などは店のメニューにない素麺なども酒の〆に食べさせてくれたのですが、それがきっちり勘定に入っていたことが発覚して大喧嘩したこともあります 

それでもまた週末になると仕事も何もかも忘れて楽しい酒を飲む日々が続いたのは、やはりママとマスターの人柄なのでしょう。

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居酒屋:30代前半

『居酒屋』一覧

転職した会社は我々のために新事務所を用意してくれたんですけど、それがなんと通い続けている居酒屋まで徒歩 10分という立地でして 

店に顔を出すペースが早まったのは言うまでもありません。

ほぼ毎週、金曜の夜になると飲めや食えやの大騒ぎとなりました 

当時は 1名を除いて他は独身で、私と既婚者以外は実家暮らしだったものですから金は自由に使えます。

新しい環境で仕事の不満もなくなり、実に楽しい日々を送っていたある日、ママが店をやめて自分の店を持つと知らされました 

それは同じ店に勤めていた 20歳以上も年下の料理長と一緒に開いた店でして 

その知らせに驚きつつも我々の行きつけの店は、あっさりとママとマスターが開いた新しい店に変わったりしたのでした。

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居酒屋:20代後半

『居酒屋』一覧

原則的に酒の席での仕事の話しを禁止していましたが、どうしても避けられない事態が起こりました。

飲み仲間 8人は仕事で蓄積した鬱憤が限界に達し、全員揃って会社を辞めると決めたんです。

実は 8人全員が同じ会社に移籍することが決まり、無職になる訳ではなかったんですけどね。

それぞれ学校を卒業して初めて勤めた会社だったため退職願の書き方も分からず、仕事帰りの本屋さんでハウツー本を購入し、居酒屋の二階を借り切って、あーだこーだ言いながら全員で退職願を書きました。

そんな時も、ママは心配しながらも優しい笑顔で我々の今後を応援してくれたものです。

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居酒屋:20代半ば

『居酒屋』一覧

同僚が失恋した時に慰めながら飲んだのも、女性社員から結婚の報告を受けたのも、面白くないことがあって憂さ晴らしに行ったのも、ママが勤める居酒屋でした。

いつも通っていた 仲間とは、

  1. 会計係は若い者の持ち回り
  2. 無理に酒を飲ませない
  3. 仕事の話は一切しない

という暗黙の了解がありまして。

1.に関しては、年長者は 500円単位で端数を切り上げて金を出し、
「釣りはいらねぇ」
と大見得を切るのが常だったため、会計係は自分の分を払う必要がほとんどないので若い者 3人に持ち回りで会計をさせていた訳です。

2.に関しては、酒は綺麗に飲みたいので泥酔してはみっともない、吐くなんぞもってのほかと思っていたので、一気飲みはおろか、飲めと酌をすることもなく銘々が自分のペースで飲んでいました。

3.に関しては、酒の席で仕事の話などしても意味がないというのが共通認識だったんですよね。

先輩や上司が偉そうに言ったところで後輩や部下が次の日に覚えているかも分からず、偉そうに言った本人も単に酒の勢いということがままあります。

第一に仕事の話などしても酒が不味くなりますし。

説教された上に割り勘なんて愚の骨頂、説教したけりゃ勘定は上司が払えって話ですよ。

そんなこんなで、嫌なことは一切排除した楽しい酒の席をママが優しい笑顔で見ていてくれました。

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居酒屋:20代前半

『居酒屋』一覧

先日亡くなった居酒屋のママとの付き合いは 30年以上に及びます。

出会った当時は自分の店を持つ前で、チェーン店の従業員と客という関係でした。

週末になれば会社の仲間と店に行き、閉店まで飲み食いしたものです 

まだ 20代と若い胃袋は次から次へと酒を流し込み、食べ物を飲み込んでいました。

従業員だったママは、他のお客さんが酔っぱらって注文だけして帰ってしまった料理などを次々に運んできてくれたため、少ない金額で腹いっぱいになるまで食べることができたんですよね 

そして閉店時間になると、もう一人の従業員の女性とそれぞれの車に私達を乗せ、最寄りの駅や自宅付近まで送ってくれたりしていました。

安く食べて飲み、帰りの足代も心配しないで済むという、実に財布に優しい店だったんです 

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