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パン屋さんの話

ちょうど一年前、一回目の抗がん剤治療を終えて退院をした。

夫の宿泊施設に荷物を置いて、まずは隣のパン屋さんに昼食を食べに行った。

実はこのパン屋さん、これまでのブログの中に何度も登場している にっかにか

イートインできるお店なので、最初の外泊のときも、ここで昼食を摂った。

入院中に、ここのパンが食べたくなって夫に買ってきてもらったこともある。

とても美味しいパンとコーヒーで、その日も退院をしたのが嬉しくて、ついパクパクと食べてしまった。

そうしたら急に冷や汗が出て、目の前がチカチカして、座っていられなくなった クラクラ

お昼時を過ぎていたため、他にはお客さんがいなかったので、店主の女性に断わってから、椅子を並べて横になった。

抗がん剤で食欲が落ちているのに、急に食べたものだから、胃に血が集中してしまい貧血になってしまったのだ しょんぼり

店主の方が心配そうに声をかけてくれたので、夫が近くの病院から退院をしてきたばかりであることを説明してくれた。

冷や汗が引きチカチカが治まったので、店主の方にお詫びをしてお店を出た。

夫の宿泊施設へ戻って一息つき、パンを全部食べられず残してしてしまったことが残念と言うと、夫は心配して損したという表情を見せた あははっ

(パン屋さんの話は続く・・・)

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パン屋さんの話2

昨日の続きで、今日もパン屋さんの話。

抗がん剤治療のために、月に一度入院をしていたが、遠方に住んでいたため、朝早い高速バスに乗り、病院へ向かっていた。

地下鉄に乗り換えて病院へ向かうと、お昼前に到着。

午後1時までに入院の手続きをすることになっているので、どこかで昼食を摂らなければいけない。

そこで、毎回一人でそのパン屋さんでお昼を食べてから、入院をしていた。

月に一度と言っても、最初に会った時には髪の毛があったし、次は帽子をかぶっていたり、かつらをかぶっていたり、外見はちょっとづつ変わっていたのに、店主の方はいつも気が付いてくれた。

6回の抗がん剤治療が終わってからも、2ヶ月に一度の外来の時に寄っている。

ただ、6月の検診の時、頭痛になってしまい、食欲もなくしんどくてパン屋さんへ行くことができなかった しょんぼり

そうしたら、先月行った時に店主の方から、「今回はちょっと間がありましたね。」と びっくり

もうすっかり覚えてくれているようだ にこー

億劫になりがちな検診ではあるが、私の場合はパン屋さんに寄るという楽しみがある。

その他にも、患者仲間が会いに来てくれるので、どちらかというと楽しみの方が多かったりする にっかにか

これは2月の入院日に食べたもの ♪

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ファイターズ優勝で

昨日、日本ファイターズの優勝が決まった。

ずっと大阪に住んでいたので、まだそれほどファイターズのファンではないが、試合の結果は気にしていた。

そしてファイターズつながりで、ある看護師さんのことを思い出していた。

声が大きくて、とても元気ハツラツという感じ。

そのハツラツさが、術後でお腹が痛いときには不親切に感じた。

だってお腹が痛くて一人じゃなかなか立てないし、まだ尿やドレーンの管が付いているのに、洗面所まで行って歯磨きをしなさいと 涙

2人部屋だったので、同室の人とベットで座ったまま歯磨きしたいのにと、文句を言ったりしていた。

でもすぐにそれは不親切ではなく、励ましだったことに気がついた うんうん

その看護師さんが、ファイターズの大ファンだった。

大ファンと言えば、最初の入院中、隣の病室に氷川きよしのファンと言う方が2人も入院していた。

実はこの病室には、あの子宮頸がんの患者仲間が入院していた。

あとで聞いたら、私はコンサートの時に前から何番目の列ですごく近かったとか、この写真集を持っているとか、しまいには氷川きよしのコンサートがあるから入院日をずらしてもらったとか、お互いに私の方が熱烈なファンだと言いたげで、もう自慢話が多くて …

同じファンで盛り上がるなら話は分るが、張り合ってどうするんだろう・・・という感じ。

でも仲が悪いわけではなく、いつも笑い声のする楽しい病室だったらしい。

ファイターズの優勝で、こんなことを思い出したりしていた にこー

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パン屋さんの話3

今まで、一回目二回目と書いてきたパン屋さんの話。

実はこれで最終回 号泣

先日の外来の時に立ち寄ったら、なんと閉店していた。

自分で食べるほかにも、持ち帰ってきたこともあるし、月末恒例のお姉さんにお土産で渡したこともある。

お姉さんも機会があれば行ってみたいと言っていたので、先週の30日にも寄ってくれたので、パン屋さんが閉店していたことを話したら残念がっていた。

病院の近くには他にもパン屋さんがあったので、大変だったのかなぁ。

色々と思い出深いお店&店主の方だったので、ちょっと寂しい しょんぼり

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思い出シリーズ

これまで大きな病気をしたことがなく、入院・手術となると不安なことが多かった。

そんな中で対応してくれる看護師さんは心の拠り所 うんうん

今振り返って思うと、ほとんどの看護師さんは年下だったが、みんな親切だった。

手術の日の夜、麻酔から覚めると、すごくお腹が痛かった 涙

夜勤の看護師さんは2時間おきに様子を見に来てくれて、体の向きを変えてくれたが、私は体が小さかったので、「軽いから体の向きを変えやすいわ。」と言っていた。

この時の看護師さんは、入院をした際に面接をして一番最初に色々と話しをした人で、半年前に次兄を病気で亡くしていることを話すと一緒に涙を流してくれた 号泣

テキパキしていたし、優しいし、一番好きな看護師さんで、こんなこと聞いていいのかな?と思うようなことを、一番尋ねやすい人だった。

ただ、昨年の6月に退職をしてしまった 泣き

新婚さんだったので、準夜勤・夜勤があって大変だったのかもしれないし、勤めているとそれなりに病院に対して思うこともあったんだろう。

またどこかで看護師を続けるようなことを言っていたし、天職だと思うので、そうあって欲しい にこー

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自転車デビュー

激しいスポーツも解禁となったが、普段の運動は散歩と、週に2回の柔軟体操・腹筋・腕立て伏せで十分 ウィンク

実は夫が少し走るのに適さない心臓なので、私も走らない。

車は持っていないので、普段の買い物は自転車で、雪の積もる季節はひたすら歩く。

自転車でちょっと思い出した。

最初の入院は手術をして抗がん剤を打って、それからの退院だった。

家に戻ってしばらくして、おそるおそる自転車に乗ってみた。

止まっている状態でサドルに座って漕ぎ出したら、案外大丈夫だったのだ。

丁度、脱毛が始まった日に自転車デビュー にこー

ただ、病院でもらった「退院のしおり」を読むと、自動車・自転車は退院してから2週間後となっていた 焦り

16日に退院をして25日に自転車に乗っていたので、ちょっとフライング気味だった あははっ

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あのまま

あのまま大阪で暮らしていたら・・・ 

今でも時々考えてしまいます。

何かに追われるように気ばかりあせり、現状打破を考える日々。

そんな生活を続けていたら妻を病院に連れて行くことはなかったことでしょう。

住んでいた地域に婦人科がなかったので面倒なこともあり、妻も病院に行く決断を下すことはなかったものと思われます。

そうなれば妻の体内でがん細胞は増殖し続け・・・ 

つまり、あのまま大阪での生活を続けていたら妻を死なせていたに違いなく・・・ 

北海道に帰ってくるきっかけとなった次兄、妻を無理矢理でも病院に連れて行くようにと強く言ってくれた長兄には本当に感謝しなければなりませんね。

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マスオさんの理由

大阪から北海道に帰ることを決断させてくれたのは次兄。

3人きょうだいの末っ子である妻の兄、次兄が重い病気になり、暮らしていたアメリカから帰国することになったのがきっかけでした。

その時すでに肝臓がんの末期で医者から余命三カ月を宣告されており・・・ 

最後はできるだけ一緒に過ごしたいと言う妻。

大阪での生活に見切りをつけていたこともあり、街を離れて北海道に帰ろうと決断した訳です 

可能であれば同じ家に住み、次兄の面倒をみたいという妻の希望もあったため、妻の父が暮らしていたものの、すでに他界してしまって空き家になっていたこの家に引っ越して来ることになりました。

結局、私達が北海道に到着した 3日後に次兄は亡くなってしまいましたので、一緒に住むことも面倒をみることもできませんでしたけど 

説明がとっても遅くなりましたが、そんなこんなが私の半マスオさん状態の真相だったりします 

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見えない力

次兄を亡くし、初七日、四十九日と過ぎて少しずつ落ち着きを取り戻した頃、実は妻が一年以上も異常出血を放置していることを長兄に話すと、何が何でも病院に連れて行くようにと強く言われました 

それが妻を病院に強制連行することになったきっかけです。

それまでも折にふれて病院に行くよう言っていたのですが、嫌がる妻に無理強いはできないと思い、しつこくは言っていませんでした。

しかし、今回ばかりは長兄からの下命だから逃れられないと、引きずるようにして病院に連れて行ったものです。

結果、それが正解で子宮体がんが見つかることになりました 

もし、あの時、次兄が大病をしていなかったら。

もし、あの時、北海道に帰る決断をしなかったら。

もし、あの時、長兄が強く言わなかったら。

もし、あの時、無理矢理でも病院に連れて行かなかったら。

もし、あの時、病院の婦人科が診療を再開していなかったら。

・・・ 

何か見えない力で妻が生かされているように思えてなりません 

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餌付け

本日、妻は定期通院のため札幌に行っていましたので、なんとなく一人でぼんやりとあの当時のことを思い出したりしていたんですけど 

入院していた大学病院の外には遊歩道があり、何箇所にもベンチが置かれてタバコの吸殻入れもあったので、喫煙者はそこでタバコを吸いながら患者さん同士で談笑したりしていました。

妻も私も禁煙していましたが、運動不足解消と便秘防止のため毎日何度も院内を散歩してしており、私もそれに付き合っていたんですよね 

たまに外の空気を吸いに出ると、そこにはタバコを吸いに多くの患者さんがウロウロしておりまして。

そんな中、あまり患者らしくなく、病衣を着ていない初老の男性が端のベンチに腰掛け、白いトレーにラップという、明らかにスーパーで購入してきたと思われる生肉をカラスに食べさせていました 

何度か目撃しましたので、それは古くなって食べられなくなった肉ではなく、カラスに食べさせるためにわざわざ購入していたものと思われます。

周りの人たちも奇異な目を向けていましたけど、あれはいったい誰だったんでしょう。

そして、いったい何の目的でカラスに生肉をたべさせていたのでしょうか 

・・・ 

どこの誰か知りませんが、そんな彼に幸多からんことを願わずにはいられません。

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