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足にまつわる話し 三足目

足にまつわる話し

足の臭いで悩む人もいるかと思いますが、私の足は限りなく無臭に近いと思われます。

いえ、人間ですから体臭はありますよ、もちろん

でも足固有の臭いはないと思うんですよ。

かなり以前のことですが、妻と旅先のホテルに宿泊した際、脱いだソックスをたたんでしまい、それを翌日に履くソックスのとなりに置いてしまったものですから、どっちがどっちか分からなくなってしまいまして

見た目で分かるはずもないので、クンクンと臭いを嗅いでみましたが判別がつきません。

そこで妻に
「どっちだと思う
とソックスを差し出したところ、嫌な顔をしつつ妻もクンクンしてくれましたが、
分からない」
と言います。

まだ入浴前、新幹線移動で長いこと靴を履きっぱなしだったのにも関わらずです。

・・・あれから約15年。

そろそろ私の足も臭うようになったでしょうか

試しにちょっと妻にクンクンしてもらいましょうかね

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俺、言ったでしょ

俺、言ったよね』とか『俺、言っとくよ』とか書いてきましたけど

今回は我が家の話、家庭内のことだったりします。

セミリタイアしてから家事手伝いをしていますが、料理も下ごしらえは私が担当しておりまして

以前にも書きましたが、最近は食べる量が減っているので食材も少ない量で済むはずです。

食材を切ったりしながら
「これくらいでイイよね
と確認し、
「どうせ食べきれないから」
と言うと、妻は悲しい顔をして寂しそうな雰囲気を漂わせます

そして、
「だって火を通したら縮んで少なくなっちゃうよ」
などと切々と訴えてくるものですから、私もついつい
「はいはい、そうだね」
と、食材を切ったりしてしまうんですよね。

しかし、いざ料理を作ると食べきれないことが多いんですよ、これが

そして先日も、
「これでお腹いっぱいになるね」
と、用意した食材にボリュームが足りないと思ったのか、こっそりサラダにマカロニを加えたりする妻です

そして、結局は食べすぎて
「う~」
などと言いながら腹をさすったりしてるんですよ

「だから俺、言ったでしょ、お腹いっぱいになるって」
と、私。

「だって、もっと食べられると思ったから」
と、妻。

この一年、同じことを繰り返したりしている私達夫婦でございます

はたして学習機能が正常動作し、丁度良い量の食材を用意できる日はやってくるのでしょうか

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本当にあった怖い話 第八幕 ~阪神淡路大震災~

本当にあった怖い話

1995年1月17日の5時46分、経験したことのない地面から突き上げられるような衝撃で目が覚めました。

それが『阪神淡路大震災』です。

当時住んでいたマンションに大型トラックでも激突したのかと考えていると、直後に始まった激しい横揺れ

やはり地震は怖いものです。

自身の体が不安定になることに加え、棚が倒れてくるのでは 、窓ガラスが割れるでは 、いや建物が崩れ落ちるのでは  などなど、様々なことが頭をよぎります。

私たち夫婦が暮らしていたのは大阪でも兵庫県寄りだったので、それなりの揺れもありまたし近所の家屋に被害も出ました。

それでも一瞬だけ停電があり、ほんの少しだけ断水になった程度で生活には困りませんでしたけど。

その後も各地で発生する大地震、そして未曾有の危機を招いた東日本大震災。

やはり自然災害というのは人間の力では太刀打ちできない規模でやって来ますね

それを考えると今後も予想されている大地震の発生が本当に怖くて仕方ありません。

昨日、1.17に関するニュースなどが多く、色々なことを思い出してしまいました。

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感嘆

テレビに映し出される追悼式典などで嘆き悲しんでいる人を見かけることがあります。

御巣鷹山に日本航空機が墜落したのは1985年。

明後日に『1.17のつどい』がある阪神淡路大震災が発生したのは1995年。

東日本大震災は2011年。

それぞれ発生してから10年以上も経過しているというのに、追悼式の参加者が涙ながらに故人の思い出を語ったりするシーンを見て、
「どうして泣けるんだろう」
とか
「何年経っても泣けるの不思議」
などと思ってしまいます

私は自分のことを非情だとも冷酷だとも、ましてや鬼だとも思っていませんが、亡くなってから何年も何十年も経った故人を偲んで泣くことはありません。

大切な家族を喪ったとしても、初七日くらいまでは深い悲しみに包まれたりもしますが、四十九日までに心の整理もつき、一周忌になれば楽しく思い出話ができるようになり、三回忌ともなれば無感情に近くなります

その後の七回忌、十三回忌・・・などなどは事務的なものに近く、故人には申し訳ありませんが、どちらかと言えば面倒だなぁと思ったり思わなかったりといった感じで

そして、その頃になれば、どんなに楽しいこと、どんなに悲しいことを思い出したとしても一滴の涙もこぼれやしません。

それなのにテレビの中の家族はさめざめと涙をこぼしたりしています。

どうして泣けるのでしょう

追悼セレモニーで流れる曲に感情が激しく動かされたり、進行役の人が泣かせよう泣かせようとしたりするんでしょうか。

それとも同じような境遇の人たちが集まることにより、集団心理で周りの人に同調してしまい、合理的な思考や判断ができなくなるんでしょうか。

涙する人たちを見るにつけ、私の頭上には大きなクエスチョンマークがボヨヨ~ンと浮かんでしまいます

泣けることが不思議でならないんですよ、私。

いえ、決して鬼じゃないんですけどね

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俺、言っとくよ

前回は過去に言ったことを書きましたけど、ここからは未来の話になります。

地熱発電と同様にずっと期待しているのは人工太陽とも呼ばれる核融合炉です。

『核』が付くので敬遠されがちですが、ウランやプルトニウムを利用するのではなく、水素やヘリウムによる核融合反応を利用するため安全性は高いので、なるべく早く実用段階になってもらいたいものです

それさえ実用段階に入ればエネルギー安全保障的にも安心、安定して電気料金も安くなるんじゃないかと期待しています。

そして、SF映画などで描かれているように将来はAIが暴走して人類の驚異となるんでしょうね、きっと

開発競争でどんどん進化するAI、量子コンピュータの実用化でスーパーコンピュータの9000兆倍の処理能力を手に入れたら学習能力も爆発的に高くなり、人工知能は人間を超えるのではないかと危惧しています

できればAIの暴走は私が死んでからにして頂きたいもので。

AIの暴走だけは、
「だから俺、言ったよね」
と言いたくありませんから

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飲酒ルール

昨年の12月28日以来、ずっと酒を呑み続けてます

根が嫌いじゃないものですから毎日でも呑んでいられるんですよね。

そんな私でも、絶対的なものとして決めている程のものではありませんが一応のルール、自主規制がありますから明日の夜で一旦は呑むのをやめます

そのルールというのは、酒を呑むのは特別な行事がない限りは休日の前の夜、そして休日の夜のみ、それも日が沈んでからというものです。

つまり、祝日がなければ休みの前である金曜の夜、そして土日と呑んで月~木までは休肝日となります

若い頃は毎晩呑んでいましたけど、妻が私の体を心配するものですから自主規制を始めました。

日が沈んでからというのはルールというより、感覚的なことですね。

なんとなく外が明るいと呑む気になれないんですよ。

そりゃあ花見とか海水浴場とかでは、勢いでビールを呑んだりしますけど

家で昼間に呑むことはなく、正月三が日ですら、お屠蘇(おとそ)を一杯だけ口にするくらいです。

父親が依存症で、体を壊してもまだ呑み続ける人でした

それを反面教師としていますから酒に関してはわりと自制が効くんですよね、私

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マフラー

とうとうお別れの時が来てしまったね。

いつだってやさしく包み込んで僕の心まで暖めてくれた君。

長い間ずっと一緒にいてくれた君。

そんな君のことを忘れないよ。

今まで本当にありがとう。

さようなら、マフラーちゃん。

・・・

という訳で、昨年末で20数年間も使っていたマフラーの使用を止め、今年から新しいマフラーをしています。

去年までのマフラーは義兄夫妻からのいただきものだったんですけど、それはそれはふっくらと柔らかく、首や頬に触れると幸せになる肌触りで大のお気に入りだったんですよね

あまりにも使い込みすぎて、縦半分に折っていた部分の繊維が限界に達してしまいまして

これはもう、無理ですよね

新しいマフラーの肌触りは今までのものほど気持ちよくありませんが、少しずつ慣れていこうと思います。

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2023年の初めに

賀正です、迎春です、謹賀新年でございます

このブログをご覧の方は少数でしょうが、皆様にとって良い年になりますように。

我が家には今年の目標 ・・・というほどでもありませんが、近々にやろうと思っていることがありまして。

それは3月までに遺影の更新をすることです。

2012年に遺影として使える写真撮影をしたことは以前に書きましたけど

5年ごとの更新を目標として掲げたりしておりましたが、あれっきり更新していません

そしてあっという間に時は過ぎ、もう10年が経過してしまいました。

私と妻は60歳の還暦、結婚生活丸30年を迎えた節目でもあることですし、妻が61歳になる3月を前に写真スタジオに行って遺影として使えるものを撮影してもらおうと思います。

しかし、実は私と妻、二人そろって写真撮影が超ウルトラ苦手なんですよ

笑って~とか言われると顔中の筋肉が引きつり、泣いてるんだか笑ってるんだか分からない微妙で奇妙な表情になってしまいます

3月までに撮影しなければと考えるだけでプレッシャーに押しつぶされそうなんですよ、実際。

それでもまあ、10年前より確実に老けているでしょうから今の姿を頑張って撮影しておきたいと思います

しかし、あれですね。

遺影だなんて、元旦にする話題じゃありませんでしたね、失礼しました

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2022年の終わりに

今年も色々なことがあったりなかったりした一年でした。

まさかロシアがウクライナに軍事侵攻するとは思いませんでしたし、これほど世界が分裂、分断されるとも思いませんでしたよ、ほんとに

ロシアの暴挙のおかげでエネルギー価格は上昇するわ、穀物価格は上昇するわ、それを起点として様々物が値上がりするわの大騒ぎです。

それに乗じて中国も地下でなんかゴソゴソしてますし

ついつい、プーチンと習近平、ついでに北朝鮮の金正日とか全員そろって地獄に落ちたらイイのになどと、あらぬことを考えてしまったりします

そして今年も札幌に行く勇気はありませんでした。

夏ごろには、秋になったら行こうかと思っていたんですけど、グズグズしているうちに第7波、8波が日本を襲い、北海道内の感染者数が万の桁に達したので札幌行きを断念してしまいまして。

6月に行きつけの居酒屋のマスターから電話があった際も、
「そろそろ行こうかな」
などと言ってしまったので、期待を裏切ったことになりますね

新型だったコロナウイルスも発生から3年が経過して新型でもなくなってきましたし、感染症法上の位置付けを5類に引き下げ、インフルエンザと同等の扱いにしようかなどという議論もされるようになってきました。

予防薬のみならず、治療薬も出回り始めましたし、もう恐れる病気じゃなくなるかも知れません

ついに、いよいよ、きっと、来年になれば2019年6月6日以来、札幌に行ってマスターと会い、美味しい料理を食べることがきると信じましょう。

来年こそ、色々な意味で世の中が平和になり、人々の平穏な生活が戻ってくることを信じたいと思います

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ケーキは横食い

クリスマスですからケーキを食べている家庭も多いことでしょう。

我が家も昨日、今日と3時のおやつにケーキを食べています。

ホールケーキを切り分けて小皿に乗せる場合、日本人の大多数は立てたままです。

で、そのケーキを崩したり倒したりしないよう、必死になって食べるわけですが

洋画や海外ドラマを見ていると、ほぼ100%ケーキは倒して皿に乗せています。

そりゃそうですよね

そのほうが圧倒的に食べやすいんですから。

私も子供の頃から何も疑うことなく立てたケーキに全神経を集中させて食べていました

残り少なくなって薄くなったケーキを最後まで倒さず食べきる達成感がたまらなかったりもしましたし

しかし最近は、ショートケーキでも最初から倒して食べるようになりました。

するとどうでしょう

見事なまでにストレスフリー

何も考えず、余計な神経を使わず、倒してしまった際の敗北感を味わうこともなく食べることができます。

私はもう二度とケーキを立てて食べることはないでしょう。

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