今回、母がガンだと分かったんですけど。
実は身内がガンになるのは六人目なんですよね。
発症順に
- 妻の母
- 私の父
- 妻の父
- 妻の兄
- 妻
- 私の母
・・・
これはもう、国民病だから仕方のないことなのかも知れません。
しかし、いくら一生涯だと二人に一人がガンになる時代とはいえ、恐ろしさすら覚えてしまいます
この調子だと、次は私の番かもとか思っちゃいますね
妻が子宮体癌を発症し、夫が扁平上皮癌を発症してしまった夫婦の闘いの日々
数年前、まだ母が故郷で暮らしている頃、大腸炎で入院したことがあるんですけど、その際にガンの兆候はなかったんでしょうか
今回、母が失神したのは貧血が原因ですが、その貧血の原因は腸からの出血ということです。
2018年に貧血症が進んでいると指摘されたんですけど、その時は腸に異常はなかったんでしょうか
色々と考えないでもありませんが、それはそれで仕方のないことではないかと。
これで母が 50歳や 60歳であれば、どこかの誰かに文句の一つも言ってやりたくなるかも知れませんが
もう 90近いので、自分も含めた誰かを今さら責めるつもりもなければ後悔することもありません。
私は無信者ですが、きっと神の思し召し、運命だったのでしょう
病院の廊下を歩く母の後ろ姿を見ていて気づいたんですけど
まだ故郷で暮らしていた2015年から16年、母は右足に強い痛みを感じていて歩くのもままならず、同じ姿勢で座っているのさえ辛いという時期がありました。
ところが、ゆっくりではあるものの足を引きずる訳でもなく普通に歩いておりまして。
その件を聞いてみると
「あれ そういえば、いつの間にか痛いの治ってる」
などと言うではありませんか
治療もせず勝手に治るなんてことがあるんですかね
やはり我が母は不死身。
今回の横行結腸がんも、ちょっと気合を入れたら自然治癒するんじゃないでしょうか
母が達観してるので、私たち夫婦も精神的には楽なものです。
がんになってしまった、死にたくないと泣かれると辛いでしょうけど、母はビックリするくらい冷静なので心のケアは必要なさそうですし
今回の件は父方の親戚縁者、母方の親戚縁者にも知らせないという母。
もし手術中に最悪の事態となって死んでしまっても誰にも知らせず、私たち夫婦だけで葬儀、火葬を済ませ、すべて終わってから公表するようにという御下命をいただきました
どこまでも、どこまでもドライな母です
それでも多少は心境の変化があったのか、いつもはベッドで手を振る母が、私たちが帰る際に廊下まで出てきて手を振っておりました。
医師からの説明を聞き終えて病室に向かう際、誰の手を借りる訳でもなく杖をつきながら自力で歩く母。
動揺してはいまいかと心配する私たちをよそに
「大事(おおごと)になったもんだねぇ」
などと他人事のように言います
病室に戻り、
「だいじょうぶ 」
と聞くと
「ぜーんぜん」
と言い、あっけらかんとしていまして
「この歳まで生きられたんだから、あした死にますよって言われてもハイそうですかっていう感じ」
なんだそうでございます。
母がドライな性格なのは知っていましたが、ここまでとは思っていませんでした
その日、その時、その瞬間、母は実に冷静でした。
知らせるべきか悩んだりしていましたが、妻との協議の結果、
「知らせないで恨まれるより知らせて恨まれたほうがマシ」
という結論に達したため母も同席して医師の話を聞くことに。
横行結腸がんのステージ2。
それが医師から告げられた検査結果です
それを耳にした瞬間は少し動揺したようでしたが、すぐに冷静さを取り戻して話を聞く母。
腸の内腔が腫れて 1cm程度しか通り道がないこと、その部分からの出血が続いているため貧血状態になっていること、他の臓器への転移は見られないことが説明されました。
そして、今後の対策としては『手術』『抗がん剤治療』『緩和ケア』の三択になると知らされた母は、
「この歳になって体に穴を開けたり切られたりするのもねぇ」
などと言いつつ、このまま何もしないと即決して医師や私たちを慌てさせます
このまま放置すると貧血状態が続き、失神を繰り返す可能性が高いこと、輸血が必要になって頻繁に通院が必要になるかも知れないことを伝えられ、手術すれば少なくとも出血は止まると聞かされた母は、考えを改め手術すると決断
循環器科、外科の検査を受け、一旦退院してから手術の日程を調整することなどを話し、今回も丁寧に書かれた説明書を受け取りました。
面談室を出て、さすがに少しだけ放心状態になりつつ病室に向かった私たちです