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卒眠剤

母は30年近くも睡眠導入剤に頼って眠りについていました。

とにかく薬がなければ眠れないのだと

入院中は手術の都合か何かで処方してもらえませんでしたが、
「それでも寝られるもんだわ」
などと言い、眠剤を飲んだときより寝付きが悪く、眠りも浅いものの眠れないことはなかったそうで。

それを好機と捉えたのか、退院してからも施設では眠剤を出さなくなったんですよね。

でも、それに慣れたのか母は早い時間に問題なく就寝しているようでして。

気は心、薬に依存し、精神的に薬に頼っていただけだったんでしょうね

きっと眠剤だと偽ってフリスクを飲ませても眠れたんじゃないでしょうか

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消極的選択

外科の先生に母の検査結果を聞いた際、ひとつの選択を迫られました。

抗癌剤治療を受けるか否か

その治療の辛さは妻が経験しているので十分に分かっているつもりです。

その経験を母にさせるか否か

90歳にならんとする母の体力と気力が抗癌剤治療に耐えられるのかは微妙です。

いえ、昭和初期の女は強いので精神力、気力は問題ないかも知れません。

しかし、発熱や嘔吐に加えて免疫力の低下などの副作用を考えると体力的には大きな不安が広がります

それでも本人の意志を尊重しようと母の意見を聞くと、
「この歳になったら無理をすることはない」
「ここまで来たら一番楽な方法を選びたい」
「何をしたって、これから10年も生きられる訳じゃない」
などと相変わらず達観しており、積極的に病魔と闘うことはしない、つまり抗癌剤治療は受けないという結論に至りました。

ある意味、消極的な選択ではありますが、それで良いと私と妻も納得しています

治療を受けたところで 100%再発しないという保証はありません。

受けなかったとことで 100%再発するというわけでもありません。

もし再発、転移したら
「その時はその時、出たとこ勝負」
と母は笑っておりました。

くよくよせず、あれだけ肝が据わっていれば、がん細胞のほうが逃げていくんじゃないでしょうかね

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強運の持ち主

今日は母が退院してから初の外来で、4月24日の手術で摘出したがん細胞の検査結果を聞いてきました。

低分化型腺癌のステージIIbで深達度は漿膜(しょうまく)に達していたものの、リンパ節転移は切除した6個に認められず、遠隔(他の臓器への)転移なしとのことです。

まあ、ギリギリセーフといったところでしょうか

漿膜というのは腸の一番外側の膜で、それを突き破って他の臓器に転移していたら手術もできなかったことでしょう。

つまり、発見があと数週間、数カ月遅かったらアウトだったということで

母はどこまで運がイイんでしょうね。

あの日あの時、母が貧血で倒れなければ

施設の方が救急搬送してくれていなければ

きっと発見が遅れ、手の施しようがなかったに違いありません。

それがギリギリでセーフだったんですから、母は本当に強運の持ち主ですね

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苦悶

妻が苦しんでいます

整形外科で処方された痛み止めを飲み続けていたところ、妻は便秘になってしまいまして。

それが辛くなるほどだったため 20日の夜に下剤を服用し、それでも音沙汰がないので昨日の午前中にも飲んだんですよね。

すると午後から極度の腹痛が始まり、妻の顔には苦悶の表情が浮びます

痛みは断続的に続き、朝になっても治らなかったので近所の内科に行くことに。

元から腸の動きは良くなかったんですけど、鎮痛剤はさらに腸の動きを鈍らせるという副作用があるのだと医師に告げられました。

アレやコレやの対策を講じてもらい、アレやコレやを処方してもらいましたけど、まだ頑固な便秘の解消には至っておらず

明日まで様子を見てみますけど、それでもダメなら違う病院に連れていこうと思います

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ジワジワと

母の施設を訪問する間隔なんですが

以前、間隔の長期化を目論んで、それがまんまと成功していたんですよ。

ところが今回の入院騒ぎでそうも言っていられず、15日、17日、そして今日も施設に行ってきました。

まだ退院したばかりの母を気遣ってくれている施設の方たちにも申し訳ありませんしね

でも、やっぱ面倒なんですよ

機会を見てジワジワと間隔を空けてやろうと再び目論んでいる親不孝もんの私です

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得意技

妻は金曜日に整形外科に行って、MRI検査を受けてきました。

結果、足や腰の痛みの原因は分かりませんでしたけど、面倒な病気じゃなくて一安心です

検査の際の騒音の中、妻は後半に記憶をなくして終わった時に目が覚めたのだとか

以前にも MRI検査で寝た妻ですが

ここまでくると、眠ることは妻の得意技と言っても過言ではありませんね。

うらやまし過ぎます。

寝付きが悪くて眠りも浅い私としては、妻を羨望の目で見るしかありません

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食品の選択

5月9日に受けた栄養指導の際に渡された資料では、大腸の手術後はかなり食べるのものに制限があります

入院中、母はひどいせん妄状態が続いていたものですから、施設に戻っても自分で食べ物を管理することなど不可能だと思っていたんですよね。

ところが、退院できると分かると急激に症状が軽くなりまして

それならば、ある程度は自己管理できるだろうと食品選択の一覧表を母に渡してきました

経過によって印刷内容を変えられるよう、簡単なプログラムを作って公開しましたので、大腸手術を受けられた方、手術を受けられたご家族をお持ちの方がおられましたら、よろしければご活用ください。

大腸手術後の食品の選択(一覧表)

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年号またぎ

母が救急搬送されて緊急入院となったのは平成31年4月4日のこと。

その母に悪性腫瘍の疑いがあると医師から告げられたのは4月5日

横行結腸がんのステージ2であることを告知されたのが4月13日 

がんを摘出する手術をしたのは4月24日

そして、令和元年5月15日の昨日、無事退院となったわけです。

平成に入院して令和に退院 年号をまたいでの大騒ぎでした

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ついに退院

ありがとうございます (^o^)/
ありがとうございます \(^o^)

ついに母が退院いたしました。

本当にありがとうございます \(^o^)/

これでもう連日のように病院に足を運ぶ必要はなくなりました。

こんな嬉しいことはありません

いえ、母が高齢であるにも関わらず無事に手術を終えて退院できたことも、もちろん嬉しくはあります。

これかららはもう会話にもならない毎日の虚無な言葉のやりとりが不要になりました。

こんな嬉しいことはありません

いえ、がんを克服して母が退院できたことも、もちろん嬉しくはあります。

これでもう毎日のようにつまらない時間を過ごす必要がなくなりました。

こんな嬉しいことはありません

いえ、母が元気になったことも、もちろん嬉しくはあります。

これでもう地獄の日々から開放されたという喜びに言葉もございません

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母に関するetc. 34

『母に関するetc.』一覧

  • 13時に病室着。
  • 今日が退院だとしっかり把握できている様子で、迎えに来てくれたのかと言う母。
  • 妻が身の回りのものを片付けようとすると、まだ早いというのにそそくさと着替え始める母。
  • 妻が片付けている間、せっせと化粧をする母。
  • 14時少し前に施設の看護師さんが到着。
  • 病室の方たち、ナースステーションの方たちに挨拶を済ませて病院を後に。
  • 入院費の精算、途中で買い物などして施設へ。
  • 部屋で妻が荷解きをして片付けをする間、不在中に届いていた通販の品を開梱する母。
  • 今後、当分の間は食べられるもの、食べてはいけないものがあるため印刷したリストを母に渡す。
  • やはりせん妄状態は軽く残っているが、食べ物に関しては自己管理できる様子。
  • 施設の方たちに挨拶をして帰宅。

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