たった今聞いたんですけど、母が痛いのは足であって腰の痛みはないのだそうです
以前は顔を洗う時などに身をかがめると痛かったらしいのですが、今はすべて寝たまま看護師さんにやってもらっているので、実際に腰が痛くなるのかは分からないんですって。
もう面倒なので腰の話しを聞くのは止めておくことにします
妻が子宮体癌を発症し、夫が扁平上皮癌を発症してしまった夫婦の闘いの日々
前回の帰省の際、母は右足の痛みがなくなったと言っていたはずなんですけど・・・いえ、間違いなく言ってたんですよね。
それなのに、今になって
「歩くと痛い」
などと言い出しています
前回の話しも寝ていたら痛くないという意味であって、リハビリで歩けばそれなりに痛かったのだとか。
ずっと寝ても起きても痛かったのが、寝ている間だけでも痛みから解放されるようになっただけマシと言えばマシなんですけど・・・
母と別に暮らすようになって約40年、すっかり意思の疎通が困難になってしまったようです
札幌にいます。
もう30年来の付き合いになるママと、その旦那がやっている焼き鳥屋さんで晩御飯がてらに酒を呑んでいるところです
以前に働いていた居酒屋から独立して今年で25年、9月には記念の催しをするので来店するようにと言い渡されてしまいました。
しかし、次回の妻の通院は10月、私はその10月までに仕上げなければならない仕事があり・・・
来られるかは物凄く微妙な感じなんですけど、とりあえずは笑顔で応じたりしている私です
帰省した際、母の代わりに固定資産税を納めに市役所に行ったんですけど
そこには一般の人も利用できる食堂がありまして。
実は成長期だった中学生の頃、お腹がすき過ぎて晩ごはんまで待てず、学校帰りに寄ってラーメンとかカレーライスとか食べていたんですよ
そこのカレー、ちょっと変わっているんですよね。
カレーうどんの出汁に近いというか、何だか和風な味がするんです。
決して本格的なカレーではなく、いかにも田舎の食堂のカレーっていう感じなんですけど、その独特の味がクセになって何度でも食べたくなります。
しかし、故郷を離れてから一度も食べることはありませんでした。
そもそも市役所に用はありませんでしたからね。
で、先日の帰省で 40年ぶりくらいに食べてみところ
やっぱり味は変わっていませんでした
中学生の頃にタイムスリップした感じで色んなことを思い出し
母が街を離れると、もう食べることもなくなってしまうんですよね。
なんだか寂しい気がします
ウロメってなんでしょう
いえね、入院中の母のベッド脇にあるキャビネットに置かれていた、小さなバインダーのクリップ部分に貼られていたテープに書かれていた謎の文字列なんですけど・・・
ネットで検索してみても、それらしきものは見つかりません。
もしかすると、ウロメではなく、ウロ×(バツ)、ウ口(くち)メ、ウ口(くち)×(バツ)の可能性もあると思い、さらに検索してみましたが納得できる情報は見つかりませんでした。
謎です・・・とことん謎です
もしかすると、担当の看護師さんのアダ名でしょうか
でもウロメちゃんなどというアダ名だとすれば由来が気になります。
・・・この謎を残したまま母は転院してしまうんですけどね。
この街の地域包括支援センターにもお世話になっています。
そして、先日も書いたように故郷で母が入院した病院に詰めている医療ソーシャルワーカーさんと故郷の地域包括支援センターとの連携も見事で、介護認定の区分変更の件などはこちらから連絡しなくても手はずが整っていました
転院先の手配や日程の調整、その移動手段に使う介護タクシーの手配など、何から何まで医療ソーシャルワーカーさんが一手に引き受けてくれています。
さらに、こちらで入居できる施設が見つかり、母の転居が必要になった場合は故郷の地域包括支援センターと、この街の地域包括支援センターが連携して様々な事務処理を簡略化してくれるのだそうです。
遠く離れて住む私達にとって、こんなに心強いことはありません
制度が始まって給料から天引きされる際にはブーブーと文句を言ったりしましたが、介護保険はやっぱり必要なんだと実感しました。
年老いた親を持つ世代にとって、なくてはならない制度です
妻も書いているように昨日の午前中は定期通院だったんですけど・・・
この一週間の疲れがドッと出たことと、前回の処方薬が担当医のミスによって量が少なく一週間ほど飲んでいない薬があったこととが相まって血液検査の結果が惨憺たるものでして
母の腎盂腎炎に感染した訳ではないんでしょうけど、腎臓の数値が異常に跳ね上がっていたので担当医が薬の副作用の可能性も考慮し、処方箋を一部変更してくれました。
その経過を見るため次回は間を置かず、24日に行くことになったんですよね。
なんだか今月はもの凄く忙しいです