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要支援2

昨年末、母は要支援2にダウングレードされたようです。

昨年夏に要介護1に認定されていましたが、それは半年の期限付きだったんですよね。

そろそろ更新の時期になったはずだと妻とも話していたんですけど、家族が余計な気を使ったりしなくても施設側と自治体でテキパキと処理されているようです 

飛行機の座席とかであればエコノミーからビジネスにアップグレードされた方が嬉しいですけど、介護認定だけは要介護1、2、3とアップグレードしてしまうよりダウングレードの方が喜ばしいというもので 

まあ、これで足の痛みまで消えて普通に歩けるようになり、どんどんダウングレードされて健常者になられてしまったら施設にいられなくなるのでそれはそれで困るんですけど 

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初詣→初施設

午前中はボーっとして過ごし、午後からのそのそと初詣に行って来ました 

そのついでに施設に行き、母の顔を見て来まして。

施設内は正月っぽい飾りつけなどもされており、酒も飲めるラウンジで母は甘酒なんぞを飲んでいるところだったので、それなりに正月を楽しんでいるようです 

自室に戻って話を聞くと、27日の夜に心臓の圧迫感を覚えたので迷った末に各部屋に備えられているブザーで職員さんを呼び、舌下薬をもらって何とか落ち着いたとのことでした。

やはり施設で暮らすと安心ですね 

何かあればすぐ駆けつけてくれますし、看護師資格のある職員さんが常駐しているので適切な対応をしてもらえますし。

帰りに職員さんからも医者に診せるほどのことではないと説明がありました。

それはそれで一段落といったところですが、そういえば母と新年のあいさつをするのをすっかり忘れていた・・・ということを帰宅してから思い出したりしている私です 

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今年も終わり

今年は何だか母に振り回された一年でした 

こんなに慌ただしく、こんなに色々と考え、こんなに様々な手続きをしたことはありません。

膨大な量の書類に記入しましたが、人生でこれほど多くの署名をした経験もありませんでした。

覚書もかねてブログの更新をしてきましたけど・・・ 

もうすでに、このブログは闘病記じゃありませんね 

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正月の過ごし方

今日は父の祥月命日だったので、10月に遺骨を納めてきた合祀堂に行って手を合わせ、その足で母の暮らす施設に顔を出してきました。

そこでも9月に納品された小さな仏壇に手を合わせ、命日のお参りは終わりです 

年末年始が近づくにつれ我が家にとって懸案事項となっていたのは正月の過ごし方でして。

同じ町に暮らしていながら何もしないのもどうかと思い、三箇日のうちのいづれかの日には母を我が家に招いて一緒に食事などして正月を祝うべきかと妻と相談していたんですよね。

まあ、長い休みのうちの数時間くらい一緒に過ごすのは良いのですが、それなりのおもてなしというか、何というか必要なこともあろうかと思われるので面倒だという気もしないではなく・・・ 

あれこれ考えていても仕方がないので、我が家で数時間を一緒に過ごすか、それとも私たちが施設に顔を出す程度で良いのか母に決めさせようということになりまして。

今日の訪問時に尋ねてみると、間髪入れずに
「来てくれたらそれでイイ」
というお答え 

妻が気を遣って
「何かお正月らしい料理でも持ってきた方が・・・」
と言いかけると、
「そこまでしなくていいよ、この施設の食事は美味しいし、きっと正月らしいものだって出ると思うから」
と答えます 

「せめて正月くらいは家族水入らずで・・・」
などと、しめっぽいことを言わない相変わらずドライな母です。

まあ、それで大助かりな面もかなりあるので感謝してますけどね。

そんなこんなで、我が家の正月は親子別々に迎えることとなりましたので、三箇日のうち天気の良い日を選び、初詣のついでに母のところに行って新年のあいさつをして来ようと思います 

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久しぶり

施設に行って久々に母の顔を見てきました。

10日は妻だけが施設に行って来てくれましたし、14日に突然現れた時も妻が対処してくれましたから私は遠目にも姿すら見ていない訳でして 

最後に母に会ったのは 2日の誕生日の時なんですよね 

20日間も顔を見なかったのは、母がこの町に来てから初めてのことです。

まあ、私としては会って何の話をする訳でもないので、少しずつ間隔を広げて施設参りは月イチとかにならないものかと密かに目論んだりしているんですけど 

しかしまあ、同じ町に住んでいながら、あまり顔を出さないのも世間的にアレですしね 

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見えない力

次兄を亡くし、初七日、四十九日と過ぎて少しずつ落ち着きを取り戻した頃、実は妻が一年以上も異常出血を放置していることを長兄に話すと、何が何でも病院に連れて行くようにと強く言われました 

それが妻を病院に強制連行することになったきっかけです。

それまでも折にふれて病院に行くよう言っていたのですが、嫌がる妻に無理強いはできないと思い、しつこくは言っていませんでした。

しかし、今回ばかりは長兄からの下命だから逃れられないと、引きずるようにして病院に連れて行ったものです。

結果、それが正解で子宮体がんが見つかることになりました 

もし、あの時、次兄が大病をしていなかったら。

もし、あの時、北海道に帰る決断をしなかったら。

もし、あの時、長兄が強く言わなかったら。

もし、あの時、無理矢理でも病院に連れて行かなかったら。

もし、あの時、病院の婦人科が診療を再開していなかったら。

・・・ 

何か見えない力で妻が生かされているように思えてなりません 

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マスオさんの理由

大阪から北海道に帰ることを決断させてくれたのは次兄。

3人きょうだいの末っ子である妻の兄、次兄が重い病気になり、暮らしていたアメリカから帰国することになったのがきっかけでした。

その時すでに肝臓がんの末期で医者から余命三カ月を宣告されており・・・ 

最後はできるだけ一緒に過ごしたいと言う妻。

大阪での生活に見切りをつけていたこともあり、街を離れて北海道に帰ろうと決断した訳です 

可能であれば同じ家に住み、次兄の面倒をみたいという妻の希望もあったため、妻の父が暮らしていたものの、すでに他界してしまって空き家になっていたこの家に引っ越して来ることになりました。

結局、私達が北海道に到着した 3日後に次兄は亡くなってしまいましたので、一緒に住むことも面倒をみることもできませんでしたけど 

説明がとっても遅くなりましたが、そんなこんなが私の半マスオさん状態の真相だったりします 

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あのまま

あのまま大阪で暮らしていたら・・・ 

今でも時々考えてしまいます。

何かに追われるように気ばかりあせり、現状打破を考える日々。

そんな生活を続けていたら妻を病院に連れて行くことはなかったことでしょう。

住んでいた地域に婦人科がなかったので面倒なこともあり、妻も病院に行く決断を下すことはなかったものと思われます。

そうなれば妻の体内でがん細胞は増殖し続け・・・ 

つまり、あのまま大阪での生活を続けていたら妻を死なせていたに違いなく・・・ 

北海道に帰ってくるきっかけとなった次兄、妻を無理矢理でも病院に連れて行くようにと強く言ってくれた長兄には本当に感謝しなければなりませんね。

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母の誕生日

妻も書いていますが、施設に行って母の顔を見てきました。

購入した干し芋を誕生日のプレゼントにしてやろうかとも思ったんですけど、とりあえず母の大好物のお菓子も持って行ってやりまたよ、ええ。

誕生日を一緒に過ごしたのなんて何十年ぶりのことでしょう 

なにせ親不孝者なものですから 30年以上ぶりのことなんじゃないでしょうか 

施設の方々にも祝ってもらい、それはそれは嬉しそうにしておりました。

母のために買っていったお菓子も食べ、思いがけずケーキまで食べることができたので、一番嬉しそうにしていたのは妻だったりしますけど 

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干し芋購入

買ってきましたよ、ええ、買ってきましたとも 

そんなに言うなら買ってやろうじゃありませんか、干し芋。

とりあえず、近所のスーパーで母の言う通り 5袋を購入してきましたよ。

ただ、前回と同じものは売っていなかったので少しグレードが下がるんですよね 

それでも美味しいと言うなら品質にはこだわらないだろうと言うことで、次回はさらにグレードを下げて中国産の芋を使った商品にしてやろうかと目論んでいますが、果たしてどうなるでしょう 

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