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外食困難

2023年8月の手術から約1年7カ月が経過しましたし、同年10月から嚥下訓練を始め、11月の終わりからは開口訓練もしていますから、今は食べることに支障がなくなってきました

そりゃあ普通の人並みに食べることはできませんけど、ほとんどこぼさずに食べられるようになりましたし、苦手だった汁物だって上手に咀嚼して飲み込むことができます

かなり口も開きますから以前まで入らなかったものも入りますしね。

いつかは行って食事やらなんやらしたいと思っているHOKKAIDO BALLPARK F VILLAGE

そして、再訪したいと心から願っている札幌の居酒屋

「行ける日が来るかなぁ」
という私に、妻は
「行けるよっ 行こうよっ ねっ
と、力強く励ましたりしてくれます。

しかし、何か食べた後の私はうがいを欠かすことができません。

いくら食べるのが上手になっても、いくら補綴で義歯を調整しても、食べているうちに義歯の裏側や上あごの空洞化した部分に食べ物が入り込んでしまいますから

そして、うがいをするためには相当な大きさのシンクまたは洗面台が必要になります。

普通の人がするようなうがいはできず、顔を左右に大きく振るものですから、鼻の穴や閉じきらない口からあふれる水が激しく飛び散るんですよ

球場や居酒屋のトイレにある手洗いでは小さすぎて、汚してしまうのは間違いありません。

外食に備えて水が飛び散らない方法を模索しましょうかね。

それが見つかるまでは、やっぱり外食は困難じゃないでしょうか、残念ですけど

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カフェモカ風

カフェモカとは、濃いめのブラックコーヒーにチョコレートシロップとミルクをいれたドリンクですけど

我が家では、おやつの時間に濃いめのコーヒーとミロをブレンドしてカフェモカ風にして飲んでいます

退院後に体重の維持、増加を目的にカロリー摂取するための策としてミロを飲むことにしました。

最初は私がミロ、妻がコーヒーを飲みながら3時のおやつを食べていたんですけど、食後や運動後にブラックコーヒーを飲む習慣があったので、おやつの時くらいは少し甘いコーヒーが飲みたいという妻の希望からコーヒーにミロをブレンドし、甘いだけじゃなくコーヒーの苦みもほしいという私の希望からミロにコーヒーをブレンドするようになり、結果的に同じ比率でブレンドしたものを2人で飲むようになったんです。

いえ、喫茶店でのバイト経験からカフェモカという飲み物は知っていても、実際に本物を飲んだことはないんですけどね

でも、まあ、こんな感じの飲み物なんじゃないかと、勝手に想像しながら美味しく飲んでいるところです

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老いの認識 其の弐拾伍 ~神経伝達物質~

『老いの認識』

右首のリンパ節を切除した影響で腕が真上まで上がらなくなってしまいました

それに関連しているのか、どうも以前より右手の動きがスムーズじゃない気がするんですよ。

やたらと物を落としたり、手をぶつけたりしてしまいます

おまけにパソコンのキーボードの誤打も多くなりましたし

いえ、もう歳なので神経伝達物質が減っているんでしょうね、たぶん。

反射神経や動体視力が衰えているのに加え、思いどおりに手が動かなかったり情報伝達が遅れるのですから、そりゃあ、バタバタしちゃいますよね。

これからどんどん年老いて、ますます動きが鈍化していくのでしょうが、それも老化とあきらめて、ゆっくり慎重に行動するように心がけていこうと思います

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入院中の思い出 scene 18 ~献身的

入院中の思い出

眠れない日々が続いて気力も体力も奪われ、精神的に危うい状況にあった時、看護師さんの一人が
「眠れないならそばにいますからね」
と言ってくれ、患者の容態や連絡事項のパソコン入力作業をベッドの横でしてくれました。

また、
「大丈夫ですよ、大丈夫ですから」
と、私が眠るまで手を握ってくれる人もいました。

「少し音が聞こえたほうが良いかもしれませんね」
と、ナースステーション横の小さな部屋にベッドを移動してくれ、そこで2、3日を過ごしたこともあります。

看護師さんとは良好な関係を築いていた私でしたが、長い入院でストレスがたまってしまったことと、一人の看護師さんの態度にブチギレてしまい、入院生活の最後の最後に険悪になってしまったのは今でも反省していますし、残念でなりません

どうしても好きになれない看護師さんも確かに数人だけいましたが、それ以外の人は本当に良くしてくれましたし、献身的に接してくれて長く入院している私を気遣い、やさしく看てくれました

最後の最後にとった私の態度をお詫びするとともに、心から感謝いたします。

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開口訓練の成果 file-2025-03 ~年6mm~

開口訓練の成果

今日現在のところ、開口訓練をした直後は36mmほど口が開くようになっています

でも、それから約12時間が経過した翌日の朝は24mmくらいしか開きません

まあ、カンロ飴は楽勝なんですけどね。

2023年11月末から訓練を開始して19mmしか開かな方のが少しずつ開くようになり、もうすぐ30mmとなったところで顎関節症を患ってしまって再び20mmに後退し、それでも訓練を続けるべしという主治医の指示で再開してから約半年。

やっと、やっとの思いで36mm

痛かったですよ〜、そりゃあもう。

アゴはギシギシ、ミシミシと音を立てるわ、ただでさえ涙が止まらない右目からアホほど涙があふれ出すわ、ほほに移植した筋はピシピシ痛むわ、舌はジンジンするわの大騒ぎです

そんな試練に耐え、耐え忍んでやっと36mm。

欲を言えば訓練直後は40mm、翌日になっても30mmくらい開いてくれると嬉しいんですけど

今のところは月間1mm、年に12mmほど開くようになればと思っています。

いえ、せめて、その半分、年6mmでも開いてもらえればと、ええ

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髪にまつわる話し 十二本目 ~まるでヅラ~

髪にまつわる話し

抗癌剤の副作用による脱毛を経て、再び発毛すると驚くほどのクセ毛になったのは過去に書いたとおりです。

何度かの散髪でクセが軽くなると思ったりしていたんですけど

そんな淡い期待など一笑に付すかのように髪は今もグリングリンと力強く渦を巻いております

過去の髪型は典型的な七三分けだったんですけど、今は八二分け、それも限りなく九一に近い分け目となっているのは、そこから分けなければ髪が逆らってツンツンに立ってしまうからです。

なんだかなぁな感じではありますが、一つだけ利点としてあるのは朝起きても手ぐしでササッとするだけで髪型が安定します

帽子を脱いでも髪型は変わらず、髪を洗っても乾けば勝手に同じ髪型になります。

おまけに髪質まで変わって少しゴワゴワしているので、それはまるでヅラをかぶっているかのごとく

そんなことは見た目じゃ誰にも気づかれないでしょうからイイんですけどね

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入院中の思い出 scene 17 ~非パニック

入院中の思い出

手術後に抑制されると聞いた時には精神的なパニック状態になりましたが、実際に抑制されてみると、
「俺を自由にしろーーっ
などと暴れることもなく、パニック症状に至ることはありませんでした

まあ、手術後は麻酔やら痛み止めやら何やらで意識がもうろうとしていましたしね。

自分がどういう状態に置かれているのか考える余裕もなかったですから

手術前の主治医からの説明で、気管切開術になるので喋ることができなくなると聞いていましたし、
「声が出なくてパニックになる患者さんもいます」
とも聞かされていました。

事前に知っていたからか、話せなくてもパニックになることはありませんでしたよ

意識が戻っても、なんだか疲れていたり面倒だったりして喋りたいとか思わなかったというのが実際のところです

何日かすると、筆談が面倒になりましたから喋りたいって思いましたけど。

それでも、危惧されていたようなパニックにならずに済んで助かりました。

パニックになるのなんて嫌ですけど、それよりも、他人に迷惑をかけることになってしまうのはもっと嫌ですからね

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if 畏怖

私は手術によって顔の右半分の人相が変わってしまったことを恥じても後悔もしていませんが、この顔を人が見た時にどう思うのか

私自身は気にしていないので宅配などで人と接する際も顔を隠しませんし、ソラくんやウミちゃんが遊びに来る際も、隣の理美容室の家族の前でも、マスクなしで顔を見せたりしています。

しかし、人によっては私の顔を見て一瞬だけギクッとした表情を浮かべることがあります

そりゃそうでしょうよ

顔にキズがあるだけでも人目を引くのに、私の場合は怪我なんてレベルのものじゃありませんから

それで傷ついたり悲しい思いをしたりするわけでもなく、
「そりゃそうだわな」
と納得すると同時に、
「ごめんね、驚かせて」
って思ったりしています。

今はまだ、病院内ではマスクが必須ですが、もし、他人に畏怖の念を抱かせたり驚かせたりするのなら、マスク不要となったとしても私だけはマスクをし続けたほうがいいんでしょうね、きっと。

ええ、そうします、そうしましょ

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入院中の思い出 scene 16 ~やりなおし

入院中の思い出

手術直後は話すこともできず、おむつをして朝から晩まで寝ている生活。

まるで赤ちゃんみたいです

やっと筆談ができるようになっても頭に浮かぶのはひらがなばかり。

小学校低学年で教わる漢字すら書くことができません

痒いところがあっても自力で痒くこともできず、胃ろうから入れるのは離乳食のようなドロドロしたもの

それからは気管に声を出すことができる器具をつけて話せるようになったり、少しずつ漢字を思い出して簡単なものから書けるようになったりと、まるで人生をやり直している感じでした。

そんな気がしていたのは私だけで、はたから見れば単なる寝たきりの爺さんであり、少しずつ回復していく患者に過ぎないでしょうけど

でも、この歳になって自分が目まぐるしく変化するのを体験することなんてできるものじゃありません。

そういう意味においては、ちょっとだけ良い経験になったと、なんとかポジティブなシンキングにしようと努力している私だったりします

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上あご受難

私が患ったのは扁平上皮癌に分類される上顎がんという珍しい病気ですが、兄ちゃん先生
「せめて下あごだったらなぁ」
と、くやしがっています

というのも、最近の医療技術をもってすれば、下あごなら人工骨での再生が可能なものの、上あごは最新技術をもってしても難しいのだそうです。

「よりによって上とはなぁ」
と、自分のことのように悔やんでくれる兄ちゃん先生ですが、なってしまったものは仕方ありません

そりゃあ、とっても不自由な思いもしていますし、味覚も衰えてしまったので昔みたいに食事を楽しむことができないのは私も悔しいですけどね。

それでも少しずつ右顔面の感覚が戻ってきていますので、味覚も徐々に回復してくれることを願っています。

やはり美味しいものは美味しく、以前と同じくらいのテンションで
「おいしーねーっ
と、味わいながら妻と食事を楽しみたいですからね

上あごを受難してしまったのは不運ですが、死ななかっただけマシ。

明石家さんまの座右の銘、
『生きてるだけで丸儲け』
を心に刻みつつ、粛々と味覚の回復を祈りたいと思います。

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