今月、妻の誕生日が終わって次は私の番ですが、6月なものですから少し間があくんですよね。
4月や 5月はどうにかならないものかと腕組みしながら考えていた妻に耳寄りな情報がもたらされました。
なんでも兄夫妻がケーキを食べて先日の妻の誕生日を祝ってくれたのだそうです
妻の目がまばゆいばかりの光を放ってキラリンと輝き、頭上に大きな電球が灯った のは言うまでもありません。
義姉の誕生日は 5月
きっと妻は何らかの準備を進めようと画策しているんじゃないでしょうか
妻が子宮体癌を発症し、夫が扁平上皮癌を発症してしまった夫婦の闘いの日々
先日までやっていた大相撲の中継をたまに見てたりしてたんですけど
子供の頃は、相撲の取り組みで立会い(試合開始)までの一連の流れ、四股を踏んだり塩を撒いたりするあの時間が長くて長くて
途中で見ているのに飽きてしまって他のことをしているうちに取り組みが終わっていたなどというのが常でした。
ジャネーの法則によると、現在56歳の私は10歳の頃より約6倍も時の経つのが早く感じていることになるので、今はそんな時間も長いとは感じなくなりましたけど。
そういうことを考えると、子供の頃って本当に時間が長く感じましたよね
親からはよく落ち着きがないとか、10分もジッとしていられないと叱られたものですが
それが約 6倍の 60分くらいに感じていたとするならば、その間ジッとしているなんて地獄です。
子どもたちに静かにしなさいと叱っても、3分か5分くらいが限界なのも仕方ないんじゃないでしょうか。
2018年06月の火災で店舗を無くし、店のママでもあった妻を亡くしたマスターですが、少しずつ心の傷も癒えてきているようです。
泣き笑いになってしまいましたが、火事でママを亡くした直後の話が聞けました。
以前にも書いたように、2人はマスターよりママが 20歳以上も年上という年の差婚だったのですが、それが一般的に理解してもらえないようで、生命保険会社が不審に思ったのか警察が火災原因を調べたそうです。
保険金目当ての放火殺人ではないかと疑われ、警察が近所の住人に2人の関係を訊いて回ったり、マスターも夫婦仲はどうだったのか問われたりしたのだとか
長いこと二人の仲を見てきた私としては、可笑しいやら腹立たしいやら複雑な気分でしたけど
でも、そんな話を笑いながらできる日が来て本当に良かったと思います
明日、明後日は妻と一緒に札幌に行ってきます。
2月27日に復活オープンした昔からの馴染みの居酒屋に顔を出してくるつもりです
それが今から楽しみでもあり、ちょっと切なくもあり
とりあえずは札幌に一泊してくるので、夜になってドタバタと荷造りなんかしている私達夫婦です。
この歳になると、何はともあれ忘れてはならないのは薬なんですよね。
私は持病の薬を各種、妻も念の為に頭痛薬(痛み止め)など準備しておりまして
そして妻は食べ過ぎてお腹が痛くなった場合に備え、そっと胃薬も用意したりしています
寒い時期になると、いつも妻は手荒れに悩まされております
私は長時間のマウス操作で右手の親指、人差し指、中指の先が荒れてボロボロになっておりまして
それをできるだけ緩和させるため、二人で就寝前に薬を塗り、手袋をして床に就いています。
私は朝になっても手袋をしたままなんですけど、妻の手に手袋があるのは三日に一度くらいなんですよね
そんなこんなで、この時期の我が家の朝は手袋の大捜索から始まります
今月、妻が検診のため札幌に行くのは 14日のホワイトデーです。
昨日の午前中に買い物に行った際にアレコレとホワイトデー関連の品を物色しまして
来週は母の暮らす施設にも行くので職員さんたちの分。
いつもお世話になっている札幌の医師へ渡す分。
看護師や受付など、その病院に勤めている方たちの分。
チョコやクッキーなどの会計を終わらせて妻は満足そうでしたけど
・・・
いえ、私のことはイイんですよ、甘党じゃありませんし、当日は家にいませんしね
札幌での昼はハンバーガーとかで済ませようとしている私に妻は言います。
「チョコシェイクとか飲んじゃえば 」
大変な思いをしたマスターから連絡が来て店を再開すると聞いた時、私と妻は本当に心から喜びました
再開の地は私達が結婚して一緒に暮らし始めた建物から歩いて行ける距離。
なんだか不思議なめぐり合わせを感じてしまったのは言うまでもありません
そして、なんと今日、27日が新しい店がオープンの日
来月、3月の中旬は妻が定期検診で札幌に行きます。
私もそれに同行し、再開した店に顔を出してくるつもりなんですよね。
そこにもうママはいませんし、以前の店があった場所とは東西で正反対になりますが
それでも、あの焼鳥のタレを再び味わえるかと思うと今から楽しみで仕方ありません
私が電話に出るとマスターは
「良かったぁ~、連絡できなかったらどうしようかと思ったぁ~」
と声を震わせ、涙ながらに
「だって・・・ママの・・・ママのお客さんだったしぃ~」
と声をつまらせます
何度も何度も電話したのに、番号を押し間違えたのか
— おかけになった電話番号は現在使われておりません —
というアナウンスが流れ、眼の前が真っ暗になっていたのだそうです。
マスターは
「酔ってかけたのが悪かったのかなぁ」
などと言っておりましたが
確かマスターは下戸で、お客さんに酒を進められても一切口にすることはなかったはずです。
ママを亡くした悲しみからか、寂しさを紛らわすためなのか、呑めない酒を口にするようになったのでしょうか
だとすれば、酒に溺れ、依存してしまう前に店が再開できる目処が立って本当に良かったと思います