妻が書いているように、私達の世代では『コリー犬』といえばラッシーです
『ミックス犬』ならポチ。
『猫』ならタマ。
『イルカ』といえばフリッパー。
『燃えよ』といえば藤井風の楽曲じゃなくドラゴン。
『超人』といえばキン肉マンじゃなくハルク。
『ルパン』といえば栗田貫一じゃなく山田康雄。
『さゆり』といえば石川か国生。
『水戸黄門』といえば里見浩太朗じゃなく東野英治郎。
『巨人』といえば進撃じゃなく飛雄馬。
・・・
何のことか分からないお友だちは、おじいちゃん、おばあちゃんに聞いてみよう
妻が子宮体癌を発症し、夫が扁平上皮癌を発症してしまった夫婦の闘いの日々
妻が書いているように、私達の世代では『コリー犬』といえばラッシーです
『ミックス犬』ならポチ。
『猫』ならタマ。
『イルカ』といえばフリッパー。
『燃えよ』といえば藤井風の楽曲じゃなくドラゴン。
『超人』といえばキン肉マンじゃなくハルク。
『ルパン』といえば栗田貫一じゃなく山田康雄。
『さゆり』といえば石川か国生。
『水戸黄門』といえば里見浩太朗じゃなく東野英治郎。
『巨人』といえば進撃じゃなく飛雄馬。
・・・
何のことか分からないお友だちは、おじいちゃん、おばあちゃんに聞いてみよう
私は手術によって顔の右半分の人相が変わってしまったことを恥じても後悔もしていませんが、この顔を人が見た時にどう思うのか
私自身は気にしていないので宅配などで人と接する際も顔を隠しませんし、ソラくんやウミちゃんが遊びに来る際も、隣の理美容室の家族の前でも、マスクなしで顔を見せたりしています。
しかし、人によっては私の顔を見て一瞬だけギクッとした表情を浮かべることがあります
そりゃそうでしょうよ
顔にキズがあるだけでも人目を引くのに、私の場合は怪我なんてレベルのものじゃありませんから
それで傷ついたり悲しい思いをしたりするわけでもなく、
「そりゃそうだわな」
と納得すると同時に、
「ごめんね、驚かせて」
って思ったりしています。
今はまだ、病院内ではマスクが必須ですが、もし、他人に畏怖の念を抱かせたり驚かせたりするのなら、マスク不要となったとしても私だけはマスクをし続けたほうがいいんでしょうね、きっと。
ええ、そうします、そうしましょ
朝の散歩中に出会う犬は、飼い主さんが優しい方なら近づいて撫でさせてもらえることがあります。
夫の入院中に一人で散歩をしているときに出会ったコリー犬は、飼い主さんも静かな方で、きっと夫も仲良くなれるだろうと思っていたのですが、昨年退院をしてから何度か会うことが出来ました
今週、久しぶりに会えたので、思い切って写真を撮らせてもらいました
夫と私の世代はコリーと言えばラッシーくん
オスかメスか分かりませんが、2人では勝手にくん付けで呼んでいます。
(後日、メスと判明してラッシーちゃんになりました)
たまにしか会えないので、貴重な1枚になりました
普段から妻と2人で体を動かすよう努めています。
いえ、もうすっかり習慣づいているので今さら止められないというのが正解でしょうか
柔軟体操を始めたのはWindows 95が発売された頃ですから、30年ほど続けていることになりますね。
私も妻も肩こりがひどく、最初はマッサージに通っていたのですが、毎週のように1人当たり3,000円も出費するのはどうかということになって始めたのが今でも続いているんです
やり始めた当初は毎日のようにしていましたが、肩こりが楽になるにつれ2日おき、3日おきとなり、今は週に1度の実施となっています。
毎朝の散歩を始めたのが2003年11月ですから、これは22年ほどになりますか。
昼と夕方にしている室内運動を始めたのが2011年なので、かれこれ14年。
その散歩と室内運動だけで1日に2時間ほど費やしますから、毎日が忙しくて仕方ありません
その2時間があれば他に色々とやれるので、できれば止めたいと思わないでもないんですけど
冒頭に書いたように、今さら止められないんですよね。
何かを止めてしまうと、なしくずし的に全部やめたくなってしまいそうな
どれかを止めてしまうと、体力や筋力が衰えてしまうような恐怖感があるんです。
これこそが強迫観念というやつなんでしょう。
もうイイです、仕方ありません
やり続けますよ、これからも
加齢で足腰が弱くなったり、関節が痛くて体を動かせなくなるその日まで。
今日は3月11日。
2011年の東日本大震災から14年になります。
北海道でも揺れましたが、震災後の現地に長兄や友人が応援で行き無事に帰ってきたことが印象に残っています。
数日前に、知り合いの方が亡くなりました。
ここ数年は年賀状だけのお付き合いになっていたのですが、大阪からここに移ってきたとき、その後もなにかとお世話になりました。
もともとは私の亡父がやっていたお店に勤めてくれていた方なので、私が20代のころからの知り合いです。
昨年、大きな病気をして手術をされていたそうですが、闘病をしていたことも知りませんでした。
私より若いのに、残念でなりません。
夫は2023年に大きな病気をして抗がん剤・手術を経て現在に至っています。
私は子宮体がんのステージ3を経験していますが経過観察は終わりました。
自宅で暮らしていると、それはとても幸せなことだと実感しますし、2人の時間を大切に生きていこうと思っています
手術直後は話すこともできず、おむつをして朝から晩まで寝ている生活。
まるで赤ちゃんみたいです
やっと筆談ができるようになっても頭に浮かぶのはひらがなばかり。
小学校低学年で教わる漢字すら書くことができません
痒いところがあっても自力で痒くこともできず、胃ろうから入れるのは離乳食のようなドロドロしたもの
それからは気管に声を出すことができる器具をつけて話せるようになったり、少しずつ漢字を思い出して簡単なものから書けるようになったりと、まるで人生をやり直している感じでした。
そんな気がしていたのは私だけで、はたから見れば単なる寝たきりの爺さんであり、少しずつ回復していく患者に過ぎないでしょうけど
でも、この歳になって自分が目まぐるしく変化するのを体験することなんてできるものじゃありません。
そういう意味においては、ちょっとだけ良い経験になったと、なんとかポジティブなシンキングにしようと努力している私だったりします
シャンプーやコンディショナー、調味料なんかもそうなんですけど
ボトルに詰め替えをする際、どうせ同じメーカーの同じものを入れるのだから、継ぎ足しでもまったく問題ないのは分かっているんですよ。
分かっちゃいるんですけど、最後まで使い切ってから詰め替えたいと思ってしまいます
今日もポンプ式のハンドクリームを詰め替えましたが、パウチパック内には微妙な感じでクリームが残っているので、パウチを切って中を絞り出したりしていまして
それは妻も同じなので、それが原因でもめることはありません。
どちらが一方だけが気にして、一方は気にしないのであれば、
「そんなのどーでもイイでしょっ 」
「いちいち細かいこと気にすんなっちゅーにっ 」
って言い争いに発展する危険性が極限まで高まりますからね。
ポンプ式のシャンプーなんかも、プッシュするとブヒッ とかガスガス
って音がして、もう出ないかと思っても容器を傾けたりしながら最後の最後まで使い切ってやりたくなります。
いえ、わかってるんですよ。
意味はないって
でも、そうしてしまう性(さが)、そういう質(たち)とでも言いましょうか。
あ〜良かった、二人が同じで、いや、ほんと
ミントは前から気になっていましたが、手を出すことはありませんでした。
そもそもバニラアイスにちょっとのせるとか、2人で食べるときにそうしたいと思っていなかったからです。
ただ、アイスのチョコミントは気になったので、夫と食べてみると美味しい
昨年、夫が退院をしてからもチョコミントを買って食べました
そうなると、ミントの葉も気になりだし、スーパーで小袋に入ったものを購入
チョコレートソースをかけてからミントの葉をのせて食べると、爽やかな味がして2人とも嫌いではないと分かりました。
元々、夫とは嗜好が似ているし、食べたいと思うタイミングも一緒で、ちょっと嬉しくなりました