気づいたら手に血豆ができていました
いつできたのか、なぜできたのか、すべては謎に包まれています。
おまけに血豆といっても豆っぽくなく
細いのと太い線状
なにをどうしたら、こんな特殊な血豆ができるんでしょうか
謎は深まるばかりです
妻が子宮体癌を発症し、夫が扁平上皮癌を発症してしまった夫婦の闘いの日々
今週は私が背中の筋を痛めて散歩は休んでいたため、今朝は久しぶりに歩いてきました。
近くの小学校は新学期が始まり、ランドセルを背負った子供の登校する姿がありました
ランドセルに交通安全のカバーをかけている新一年生もいて、そんな姿を見ると頬が緩んでしまいます
いつもの公園では、アライグマの水飲み場の水が出るようになり、冬季期間中は閉鎖されているトイレも使えるようなっていました。
これは最低気温が氷点下にはならないという合図
新芽や花の開花が待ち遠しくなります
今日は精神科への通院でした。
今日は夫の通院日です。
その間に、私は義母の住む施設へ届け物をしてきました。
届け物を渡してから、職員さんに義母の感情の起伏、着るものなどについて尋ねてきました。
少し認知機能が落ちているのか、いつも同じ服を着ている、感情の起伏はたまにあるそうですがそれほど多くはないそうで、対処できているとのこと。
ただトイレに関しては少々問題が出てきたようで、おむつを使い始めているらしいです
歩き方もスタスタ歩けないことが増えてきているので歩行器を進めても断ることがあるとか
洋服は同じものばかり着ているので、家族の方が新しいものを渡したらそれを着るようになるかもしれないとアドバイスして頂きました。
来月は母の日ですし、何か着るものを持って行くことにしようと思います
妻も書いていますが、昨日の午前中に隣の理美容室のマユちゃん一家が千葉に帰ってしまいました
ソラくんもウミちゃんも可愛かったなぁ〜、などと、今も余韻に浸っている私たち夫婦です
で、ソラくんのことを考えていて思ったんですよ。
もし名字が『宍戸(シシド)』さんなら『シシドソラ 』って音階になるなって。
レミって名前の女の子がいたら『シシドレミ 』。
世の中には、そんな名前の人が実際にいるかも知れませんね。
その流れで思ったのが、母音だけで構成されている名字。
たとえば
蒼井(アオイ)
青江(アオエ)
大江(オオエ)
伊上(イウエ)
などなど。
そこに碧、有央などと書いて『アオ』と読む男の子や、愛、亜衣と書いて『アイ』と読む名の女の子がいたら、すべて母音で構成される姓名となります。
もし、『上尾(ウエオ)愛(アイ)』なんて名前の人がいたら、ローマ字読みではaiueo(アイウエオ)になってしまいますから注意が必要ですね
・・・
だからどーしたってことじゃありませんけど。
なんとなく、ボ〜っと、そんなことを考えたりしていた今日の夕暮れ時でした
来月はもう5月
我が家に子どもはいませんが、端午の節句の前に小さな飾りをしています。
端午の節句まで、もう1ヶ月を切っていますね。
飾り物を出して、あとはゴリラのぬいぐるみにも兜をかぶせなければ
ぬいぐるみたちは、ソラくんとウミちゃんの相手をして疲れたでしょうね
7月までは、静かに穏やかに過ごせることでしょう
医師に相談もせず、勝手に減薬に踏み切った私です
だって、体のかゆみがひどかったんですもん
肌着の縫い目が問題かと思って裏返してもかゆみが治まりませんでしたし、夜中に体をボリボリしながら目覚めることもありますし、気づけば血が出ていることもしばしばでしたし。
で、妻が調べてくれた結果、赤血球を増やす目的で処方されている『メコバラミン錠』と、顎関節症になってしまったため筋肉のこわばりを改善する目的で処方されている『チザニジン錠』には発疹、かゆみの副反応があると分かったんです。
赤血球を増やしたいのは経口抗がん剤治療を復活させるためだったんですけど、それは中止すると決めましたので、もう服用する必要はなかろうと
顎関節症も、今はあごの痛みがなくなっているので服用を中止しても差し支えないだろうと判断しました。
しかし、服用を止めて20日ほどが経過した今も体のかゆみは持続ておりまして
どうやら薬より季節要因が大きいみたいですね。
しかし、多い時には1日に32錠も飲んでいた薬が、せっかく10錠とサプリ2錠まで減ったので、今さら服用を再開したくありません。
でも、勝手に止めたりしないで医師に相談したほうが良いのでしょうか
次の受診の際、事後承諾になってしまいますが主治医に話してみることにします。
今朝、お隣のマユちゃん一家は千葉に帰りました。
いつも出発するときにソラくんがドアホンを鳴らして
「帰るよー」
と声をかけてくれるのですが、今日はウミちゃんの
「帰るよ~」
という声も聞こえました
先月からの帰省で、初めてウミちゃんだけが先に来ていたので我が家に1人で遊びに来てくれ、ご挨拶も声を出してくれるようになりました。
ソラくんが来てからはしばらく我が家に来ることはなかったのですが、実は遊びに来たかったらしいんです。
今日マユちゃんが、次は7月に来ますと言っていたのですが、ソラくんとウミちゃんが遊びに来たいと思っているのなら迎えたいところですが、また別々に来るようにしなければいけないかな。
ソラくんと遊んで夫は筋肉痛になっていましたし、私は背中の筋をピシッとやってしまい湿布を貼っています
夏休みは長いですし、夫と私の体力は持つでしょうか
施術の後、ICUで目覚めてから一般病棟に移るまで、看護師さんから
「痛くありませんか 」
「無理に我慢しないでくださいね」
「言ってもらったら鎮痛剤を増やしますよ」
などと、幾度となく声をかけてもらいました。
でも、私って痛みに鈍感なものですから、薬を増やしてほしいと思うほどの痛みは感じなかったんですよ
我慢しているわけでも、遠慮して言えないわけでもなく、単に体が必要としなかったわけでして。
それでも1度か2度は鎮痛剤を増やしてもらいましたけど
痛みに強いのが幸いして退院してすぐに口の中の痛みも和らぎ、普通に食事ができるようになりましたから、感謝すべきでしょうね、この体質というか性質に。
誰に
こんな風に生んでくれた母に
そもそも誰に似たんだか分かりませんし。
父も母も、どこかが痛いと言うのをあまり聞いた記憶がないので、双方からの遺伝なんでしょうかね
子供の頃に食べていたトマトは今ほど甘くなかったので、好きではありませんでした
しかも、知り合いの農家の方からたくさんいただくことがあり、トマトがザルやボウルに山盛りで、おやつが欲しいと言ってもトマトを食べなさいと
そんなことがあったので、トマトは積極的に食べなくなりました。
大人になってからは、サラダに入っていたら食べていましたが自分から買うことは少なく、夫のお弁当に入れても自分では食べていませんでした。
でも大阪に住んでいるころに、大家さんから大量の熟したトマトをいただくことがありました。
その当時はあれば食べるというくらいになっていたのですが、いただいたものは甘くて美味しい
トマトがこんなに甘くて美味しいとはびっくりです。
きっと改良もされて、酸味は抑えて美味しくなっていたんですね。
その時は、夫が水分はトマトだけでカレーを作ってくれました
以来、トマトに対する意識が変わり、今では毎日食べているサラダに必須になりました。
当時の大家さん、ありがとう
そして美味しいカレーを作ってくれた夫もありがとう