投稿が新しい順 投稿が古い順

飲食店の生存率

明日から妻の通院のお供で札幌に行ってきます。

私の第一目的はいつもの居酒屋に行くことなんですけどね

知り合いが先週の土曜日(1日)に店に行くと、割と賑わっていたとのことでしたので新しいお客さんが付いてくれたんでしょうか。

いわゆる水商売、飲食店の生存競争というのは厳しいものがありまして。

開店してから1年以内に35%が閉店、49%が2年以内、70%が3年以内に閉店しまい、10年後に残っている店は10%にすぎないのだとか

火事になってしまった以前の店は、その土地で 30年以上も続いていましたから実績はあるんですけど

新しい場所での再開ですし、こればっかりは先がどうなるか分かりませんもんね。

私としては、せめて少しでも売上に貢献できるよう、微力ながら協力させていただく所存でございます

ランキングに参加しています。 宜しければクリックしてください。

外来のペース

今日は母の外来診療の日だったので病院に行ってきました。

担当医に抗癌剤治療は受けないと意思表示し、今後の経過観察の予定を聞いて来たんですよね

最初は月イチで受診し、血液検査で腫瘍マーカーの値を確認するとともに数カ月に一度の割でCT。

何事もなく半年から一年が経過すれば 3カ月に一度の受診にするそうで。

まあ、過去に妻が通ってきた道を歩むわけです

妻と同様、再発も転移もないことを祈るばかりですね

ランキングに参加しています。 宜しければクリックしてください。

おしゃれ番長 その十五

母が退院する直前に病院内にある美容室に連れて行ったんですけど。

母はその美容室をえらく気に入ったようです

仕事が早いことや料金が安いというのも要因の一つですが

カットとカラーリングをしてもらたった後、病室の人にほめられたことや、施設に帰ってからも髪型の評判が良かったため有頂天になっていると思われ。

どうやら、おしゃれ番長の琴線にビンビンと触れたっぽいんですよね。

まあ、私としても、そんな単純な母を愉快に拝見している次第ですが

ランキングに参加しています。 宜しければクリックしてください。

卒眠剤

母は30年近くも睡眠導入剤に頼って眠りについていました。

とにかく薬がなければ眠れないのだと

入院中は手術の都合か何かで処方してもらえませんでしたが、
「それでも寝られるもんだわ」
などと言い、眠剤を飲んだときより寝付きが悪く、眠りも浅いものの眠れないことはなかったそうで。

それを好機と捉えたのか、退院してからも施設では眠剤を出さなくなったんですよね。

でも、それに慣れたのか母は早い時間に問題なく就寝しているようでして。

気は心、薬に依存し、精神的に薬に頼っていただけだったんでしょうね

きっと眠剤だと偽ってフリスクを飲ませても眠れたんじゃないでしょうか

ランキングに参加しています。 宜しければクリックしてください。

消極的選択

外科の先生に母の検査結果を聞いた際、ひとつの選択を迫られました。

抗癌剤治療を受けるか否か

その治療の辛さは妻が経験しているので十分に分かっているつもりです。

その経験を母にさせるか否か

90歳にならんとする母の体力と気力が抗癌剤治療に耐えられるのかは微妙です。

いえ、昭和初期の女は強いので精神力、気力は問題ないかも知れません。

しかし、発熱や嘔吐に加えて免疫力の低下などの副作用を考えると体力的には大きな不安が広がります

それでも本人の意志を尊重しようと母の意見を聞くと、
「この歳になったら無理をすることはない」
「ここまで来たら一番楽な方法を選びたい」
「何をしたって、これから10年も生きられる訳じゃない」
などと相変わらず達観しており、積極的に病魔と闘うことはしない、つまり抗癌剤治療は受けないという結論に至りました。

ある意味、消極的な選択ではありますが、それで良いと私と妻も納得しています

治療を受けたところで 100%再発しないという保証はありません。

受けなかったとことで 100%再発するというわけでもありません。

もし再発、転移したら
「その時はその時、出たとこ勝負」
と母は笑っておりました。

くよくよせず、あれだけ肝が据わっていれば、がん細胞のほうが逃げていくんじゃないでしょうかね

ランキングに参加しています。 宜しければクリックしてください。

強運の持ち主

今日は母が退院してから初の外来で、4月24日の手術で摘出したがん細胞の検査結果を聞いてきました。

低分化型腺癌のステージIIbで深達度は漿膜(しょうまく)に達していたものの、リンパ節転移は切除した6個に認められず、遠隔(他の臓器への)転移なしとのことです。

まあ、ギリギリセーフといったところでしょうか

漿膜というのは腸の一番外側の膜で、それを突き破って他の臓器に転移していたら手術もできなかったことでしょう。

つまり、発見があと数週間、数カ月遅かったらアウトだったということで

母はどこまで運がイイんでしょうね。

あの日あの時、母が貧血で倒れなければ

施設の方が救急搬送してくれていなければ

きっと発見が遅れ、手の施しようがなかったに違いありません。

それがギリギリでセーフだったんですから、母は本当に強運の持ち主ですね

ランキングに参加しています。 宜しければクリックしてください。

苦悶

妻が苦しんでいます

整形外科で処方された痛み止めを飲み続けていたところ、妻は便秘になってしまいまして。

それが辛くなるほどだったため 20日の夜に下剤を服用し、それでも音沙汰がないので昨日の午前中にも飲んだんですよね。

すると午後から極度の腹痛が始まり、妻の顔には苦悶の表情が浮びます

痛みは断続的に続き、朝になっても治らなかったので近所の内科に行くことに。

元から腸の動きは良くなかったんですけど、鎮痛剤はさらに腸の動きを鈍らせるという副作用があるのだと医師に告げられました。

アレやコレやの対策を講じてもらい、アレやコレやを処方してもらいましたけど、まだ頑固な便秘の解消には至っておらず

明日まで様子を見てみますけど、それでもダメなら違う病院に連れていこうと思います

ランキングに参加しています。 宜しければクリックしてください。

ジワジワと

母の施設を訪問する間隔なんですが

以前、間隔の長期化を目論んで、それがまんまと成功していたんですよ。

ところが今回の入院騒ぎでそうも言っていられず、15日、17日、そして今日も施設に行ってきました。

まだ退院したばかりの母を気遣ってくれている施設の方たちにも申し訳ありませんしね

でも、やっぱ面倒なんですよ

機会を見てジワジワと間隔を空けてやろうと再び目論んでいる親不孝もんの私です

ランキングに参加しています。 宜しければクリックしてください。

得意技

妻は金曜日に整形外科に行って、MRI検査を受けてきました。

結果、足や腰の痛みの原因は分かりませんでしたけど、面倒な病気じゃなくて一安心です

検査の際の騒音の中、妻は後半に記憶をなくして終わった時に目が覚めたのだとか

以前にも MRI検査で寝た妻ですが

ここまでくると、眠ることは妻の得意技と言っても過言ではありませんね。

うらやまし過ぎます。

寝付きが悪くて眠りも浅い私としては、妻を羨望の目で見るしかありません

ランキングに参加しています。 宜しければクリックしてください。

食品の選択

5月9日に受けた栄養指導の際に渡された資料では、大腸の手術後はかなり食べるのものに制限があります

入院中、母はひどいせん妄状態が続いていたものですから、施設に戻っても自分で食べ物を管理することなど不可能だと思っていたんですよね。

ところが、退院できると分かると急激に症状が軽くなりまして

それならば、ある程度は自己管理できるだろうと食品選択の一覧表を母に渡してきました

経過によって印刷内容を変えられるよう、簡単なプログラムを作って公開しましたので、大腸手術を受けられた方、手術を受けられたご家族をお持ちの方がおられましたら、よろしければご活用ください。

大腸手術後の食品の選択(一覧表)

ランキングに参加しています。 宜しければクリックしてください。