妻も書いていますが 29日の月曜日は母が月に一度の通院をする日でした。
その日はレントゲン、採血などもあって結果を知らされたんですけど
- レントゲンに怪しい影なし。
- 腫瘍マーカーに異常なし。
- 貧血は改善され基準値。
とのことです。
そして、付き添ってくださった施設の看護師さんの報告では
- 食欲も戻りつつあり摂取量も増加傾向。
- それに伴い体重も増加傾向。
- 体力的にも問題なし。
なのだそうでして
もう 90歳にならんとする婆さんなのに獣なみの回復力をみせております
こりゃ母はまだまだ死にませんね
妻が子宮体癌を発症し、夫が扁平上皮癌を発症してしまった夫婦の闘いの日々
妻も書いていますが 29日の月曜日は母が月に一度の通院をする日でした。
その日はレントゲン、採血などもあって結果を知らされたんですけど
とのことです。
そして、付き添ってくださった施設の看護師さんの報告では
なのだそうでして
もう 90歳にならんとする婆さんなのに獣なみの回復力をみせております
こりゃ母はまだまだ死にませんね
今朝は月曜コースを歩いてきました。
子どもたちは夏休みに入ったため、歩いているのは通勤者かウォーキングをしている人くらいでした。
雨は降りそうでしたが、ギリギリ降らずに歩いてくることが出来ました
今日は義母の通院の日で、出かけるときには小雨が降っていたので自転車は諦めて傘をさして歩いて行ってきました。
今日はレントゲン撮影と血液検査も受けましたが、どちらも問題はありませんでした。
退院後は28日毎に通院をしていましたが、次回は間隔を開けても大丈夫とのことで2ヶ月後になりました。
順調で良かったです
今日の血圧
朝 107-68(心拍数 62)
夕 128-76(心拍数 73)
昨日、母の暮らす施設に行く時、事前に買っておいた服を持っていきました。
実は前回の訪問の際、長袖Tシャツの色がどうのこうのと言っていたのですが、それは耳の左から右に抜けて脳で処理していなかったんですよ、私
ところが妻は欲しがっていたのだから買ったほうが良いと言い、この街のオバちゃんからお年寄りまで御用達の店に行って物色しまして。
一応は日本製だけど見事にお買い得となっている長袖Tシャツを色違いで 2枚、それと 2-3回洗濯したら型崩れするのではないかと心配になってしまうほど恐ろしいくらいに激安で売られていたトップスを購入しておいたんです。
「値段はともかく、お義母さんが好きそうなデザインじゃない 」
という妻の見立ては見事に当たり、おしゃれ番長はことのほか喜んでおりました。
受け取った時だけではなく、部屋にいる間にも何度かお礼を言い、部屋を出る際にもあらためてお礼の言葉を口にしていたので余程嬉しかったのでしょう
それだけに、2-3回ではなく、せめて 10回くらいの洗濯に耐えてくれることを願わずにはいられません
母のところに持っていく飲み物とおやつの消費量が異常な値を示しています
退院後、減りが早いとは思ってたんですけど
スポーツドリンクやお茶、乳酸菌飲料などの飲み物を数十本単位で補充しても、次に行くと底をつきかけておりまして。
まだ食べられるものは限られているので、水ようかんやらカステラ、バウムクーヘンとかチーズなどもせっせと運んで補充しいるんですけど、次に行くと残りわずかという状態なんですよね
母いわく、
「私は間食ってほどんどしないから」
・・・どの口が言うんでしょ
それにしても、あまりにも過剰消費なんじゃないでしょうか
とても一人で飲んだり食べたりしている量ではないので事情を聞いてみると、チーズと水ようかんは自分で食べていて、飲み物も水分補給に務めているので減りが早いとのこと。
その他の菓子類はマージャン仲間と一緒に食べているそうで。
はあ、さいですか
私達夫婦は、とにかく、ひたすら、せっせと働き蜂のように物資を供給するのみでございます
今日は母の外来診療の日だったので病院に行ってきました。
担当医に抗癌剤治療は受けないと意思表示し、今後の経過観察の予定を聞いて来たんですよね
最初は月イチで受診し、血液検査で腫瘍マーカーの値を確認するとともに数カ月に一度の割でCT。
何事もなく半年から一年が経過すれば 3カ月に一度の受診にするそうで。
まあ、過去に妻が通ってきた道を歩むわけです
妻と同様、再発も転移もないことを祈るばかりですね
母が退院する直前に病院内にある美容室に連れて行ったんですけど。
母はその美容室をえらく気に入ったようです
仕事が早いことや料金が安いというのも要因の一つですが
カットとカラーリングをしてもらたった後、病室の人にほめられたことや、施設に帰ってからも髪型の評判が良かったため有頂天になっていると思われ。
どうやら、おしゃれ番長の琴線にビンビンと触れたっぽいんですよね。
まあ、私としても、そんな単純な母を愉快に拝見している次第ですが
母は30年近くも睡眠導入剤に頼って眠りについていました。
とにかく薬がなければ眠れないのだと
入院中は手術の都合か何かで処方してもらえませんでしたが、
「それでも寝られるもんだわ」
などと言い、眠剤を飲んだときより寝付きが悪く、眠りも浅いものの眠れないことはなかったそうで。
それを好機と捉えたのか、退院してからも施設では眠剤を出さなくなったんですよね。
でも、それに慣れたのか母は早い時間に問題なく就寝しているようでして。
気は心、薬に依存し、精神的に薬に頼っていただけだったんでしょうね
きっと眠剤だと偽ってフリスクを飲ませても眠れたんじゃないでしょうか
外科の先生に母の検査結果を聞いた際、ひとつの選択を迫られました。
抗癌剤治療を受けるか否か
その治療の辛さは妻が経験しているので十分に分かっているつもりです。
その経験を母にさせるか否か
90歳にならんとする母の体力と気力が抗癌剤治療に耐えられるのかは微妙です。
いえ、昭和初期の女は強いので精神力、気力は問題ないかも知れません。
しかし、発熱や嘔吐に加えて免疫力の低下などの副作用を考えると体力的には大きな不安が広がります
それでも本人の意志を尊重しようと母の意見を聞くと、
「この歳になったら無理をすることはない」
「ここまで来たら一番楽な方法を選びたい」
「何をしたって、これから10年も生きられる訳じゃない」
などと相変わらず達観しており、積極的に病魔と闘うことはしない、つまり抗癌剤治療は受けないという結論に至りました。
ある意味、消極的な選択ではありますが、それで良いと私と妻も納得しています
治療を受けたところで 100%再発しないという保証はありません。
受けなかったとことで 100%再発するというわけでもありません。
もし再発、転移したら
「その時はその時、出たとこ勝負」
と母は笑っておりました。
くよくよせず、あれだけ肝が据わっていれば、がん細胞のほうが逃げていくんじゃないでしょうかね
今日は母が退院してから初の外来で、4月24日の手術で摘出したがん細胞の検査結果を聞いてきました。
低分化型腺癌のステージIIbで深達度は漿膜(しょうまく)に達していたものの、リンパ節転移は切除した6個に認められず、遠隔(他の臓器への)転移なしとのことです。
まあ、ギリギリセーフといったところでしょうか
漿膜というのは腸の一番外側の膜で、それを突き破って他の臓器に転移していたら手術もできなかったことでしょう。
つまり、発見があと数週間、数カ月遅かったらアウトだったということで
母はどこまで運がイイんでしょうね。
あの日あの時、母が貧血で倒れなければ
施設の方が救急搬送してくれていなければ
きっと発見が遅れ、手の施しようがなかったに違いありません。
それがギリギリでセーフだったんですから、母は本当に強運の持ち主ですね