眉毛のテンプレート

以前にも書いた通り、妻は眉毛の手入れはおろか、眉墨を引いたことすらないのだそうです。

抗がん剤治療が始まった時、眉毛が抜け落ちた場合にどうやって描いたら良いものやら見当もつかないと大慌ていたしまして 

何か妙案はないものかと二人で腕組みしながら
「う~む」
と無い知恵を無理矢理しぼり出したところ、
「テンプレートを作っておけば良い」
という結論に落ち着きました。

会社で書類などをまとめておくクリアファイルを用意し、

それをほど良き大きさにカットして鼻のくぼみをつけ、妻の顔面に押し当ててマジックで眉毛の形をなぞり、その部分をカッターでくり抜けば完成です 

眉を描く必要があれば、そのテンプレートをペタッと顔に当てて穴の部分をグリグリと塗ってやれば良いのではないかと 

まるで博多仁和加(はかたにわか)の面のようですけど 

実際に作ってみましたが、その間抜けなアイテムは使われることなく、無事に治療が終わりました 

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取材回想録 追記

描かれた漫画で、私が妻にもしものことがあったら自分も死ぬというくだりがありますが、実は正確な表現ではありません。

妻の後を追って自殺しようとか、そういう意味ではなく 

言葉で伝えるのも難しいのに文章で伝えられるのか分かりませんが、つまりはこういうことです。

あの日、あの時、頭のなかに浮かんだのは、
「もしかしたら妻は長く生きられないかもしれない」
「一人になるのは辛すぎる」
「一人で生きて行けるだろうか」
「いや、待てよ
「妻の葬式をやり、初七日、四十九日、納骨を無事に済ませよう
「それが終わっても辛すぎたら一人で生きる必要なんかないや」
「辛いのを無理に我慢せずに死にたくなったら死ねばいいや」
という感じでした。

後追い自殺と何が違うのかと問われれば明確な答えなどありませんが、とにかく死のうと決意したわけではなく、
「もし辛すぎて耐えられなかったら無理に生きていなくてもイイもんね」
という程度のアバウトというかファジーというか、実に曖昧な感情だったように思います 

・・・ 

やはり上手には伝えられませんね 

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取材回想録 -4-

実は取材を受けて回答した内容は、出版業界で言うところのゲラの状態で描かれていた内容と、実際に掲載された内容では一部異なります。

それは同じ病気に悩む人の参考、一助になることを目的とした漫画であるため、逆に不安感や失望感を与えないよう慎重に内容が吟味された結果なのでしょう 

その部分を気にすることなく読み進める人も多いでしょうが、どんな些細な事でも慎重には慎重を期するという井上きみどり先生、出版社、そしてそれを指摘された監修の竹内医師の方針には頭がさがります。

だからこそ、多くの人に支持される作品になるに違いありません 

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取材回想録 -3-

井上きみどり先生は涙もろい・・・というより感受性豊かなのでしょう。

質問に対し、何気なく答えたことで涙されていました。

いったいどうしてしまったのか、なぜ泣いているのかと、こちらが慌ててしまうくらいでして 

「奥さんがガン告知をされたと聞いてどう思いましたか
という質問に対して
「首に縄をつけてでも早く病院に連れて行かなかったことを後悔し、申し訳なく思いました。」
と答えると、目をウルウルさせます 

「病気を通して夫婦の絆に変化はありましたか
という問に対して
「病気を境に絆が太くなったとか強くなったということはなく、昔からずっと同じですね。」
と答えると、またまた涙をこぼされます 

こちらとしては、感動的な話しもなく実に申し訳ないという気持ちで答えているのに、きみどり先生には特別なスイッチがあるらしく、思いもよらないところで涙されるので驚いたり戸惑ったすることもしばしばでした。

しかし、それくらい感受性が豊かな人でなければ作品を通して人を感動させたり笑わせたりできないのかもしれません 

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取材回想録 -2-

取材を受け、色々と聞かれて色々なことを思い出したり改めて認識したりしました。

会話の中に
「普段の生活ではどちらが主導権を持っていますか
という質問がありましたが、我家の場合は亭主関白でもなければ、かかあ天下でもなく、固く言えば公正、平等、やわらかく言えば五分五分ではないかと思います。

何かを買うにしても何かを食べに行くにしても、事前に話し合いますし 

事前に話しても妻は決められない性格なので決断するのは私ですが、決定権がある訳ではありません。

我が家における平等な関係は食べ物にも及びまして・・・ 

たとえばミカンを食べる場合、互いに一つずつ手に取りますが、皮をむいた後で半分を交換します。

トウモロコシも一人一本を食べる場合、列の半分まで食べた段階で交換します。

そうすれば、どちらか一方だけが甘くて美味しいものを食べるという事態を避けられ、公平に同じく味わうことができるからなんですよね 

自分だけがマズい思いをしたくないという利己的な感情もないではありませんが、どちらかと言えば美味しい物を分け合うという感じです。

甘いお菓子は妻のほうが圧倒的に多く食べたりしますけど・・・ 

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取材回想録 -1-

私たち夫婦のことが掲載された雑誌が発売になったのが 6年前の今日(3/15)

集英社様、井上きみどり先生の取材を受けた時のことが思い出されます。

取材を受けるためにお会いしたのが2010年10月22日

空港内で打ち合わせをした部屋が暑く、緊張もあったのかひどく汗をかいたのを覚えています 

編集者さんは風邪をひいてしまったのか、ずっと鼻をグシュグシュさせていました 

とりとめのない話しをしてしまったような気がしますが、それを簡潔にまとめて物語にしてしまうのだから、やはりプロというのはすごいと思います 

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餌付け

本日、妻は定期通院のため札幌に行っていましたので、なんとなく一人でぼんやりとあの当時のことを思い出したりしていたんですけど 

入院していた大学病院の外には遊歩道があり、何箇所にもベンチが置かれてタバコの吸殻入れもあったので、喫煙者はそこでタバコを吸いながら患者さん同士で談笑したりしていました。

妻も私も禁煙していましたが、運動不足解消と便秘防止のため毎日何度も院内を散歩してしており、私もそれに付き合っていたんですよね 

たまに外の空気を吸いに出ると、そこにはタバコを吸いに多くの患者さんがウロウロしておりまして。

そんな中、あまり患者らしくなく、病衣を着ていない初老の男性が端のベンチに腰掛け、白いトレーにラップという、明らかにスーパーで購入してきたと思われる生肉をカラスに食べさせていました 

何度か目撃しましたので、それは古くなって食べられなくなった肉ではなく、カラスに食べさせるためにわざわざ購入していたものと思われます。

周りの人たちも奇異な目を向けていましたけど、あれはいったい誰だったんでしょう。

そして、いったい何の目的でカラスに生肉をたべさせていたのでしょうか 

・・・ 

どこの誰か知りませんが、そんな彼に幸多からんことを願わずにはいられません。

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見えない力

次兄を亡くし、初七日、四十九日と過ぎて少しずつ落ち着きを取り戻した頃、実は妻が一年以上も異常出血を放置していることを長兄に話すと、何が何でも病院に連れて行くようにと強く言われました 

それが妻を病院に強制連行することになったきっかけです。

それまでも折にふれて病院に行くよう言っていたのですが、嫌がる妻に無理強いはできないと思い、しつこくは言っていませんでした。

しかし、今回ばかりは長兄からの下命だから逃れられないと、引きずるようにして病院に連れて行ったものです。

結果、それが正解で子宮体がんが見つかることになりました 

もし、あの時、次兄が大病をしていなかったら。

もし、あの時、北海道に帰る決断をしなかったら。

もし、あの時、長兄が強く言わなかったら。

もし、あの時、無理矢理でも病院に連れて行かなかったら。

もし、あの時、病院の婦人科が診療を再開していなかったら。

・・・ 

何か見えない力で妻が生かされているように思えてなりません 

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マスオさんの理由

大阪から北海道に帰ることを決断させてくれたのは次兄。

3人きょうだいの末っ子である妻の兄、次兄が重い病気になり、暮らしていたアメリカから帰国することになったのがきっかけでした。

その時すでに肝臓がんの末期で医者から余命三カ月を宣告されており・・・ 

最後はできるだけ一緒に過ごしたいと言う妻。

大阪での生活に見切りをつけていたこともあり、街を離れて北海道に帰ろうと決断した訳です 

可能であれば同じ家に住み、次兄の面倒をみたいという妻の希望もあったため、妻の父が暮らしていたものの、すでに他界してしまって空き家になっていたこの家に引っ越して来ることになりました。

結局、私達が北海道に到着した 3日後に次兄は亡くなってしまいましたので、一緒に住むことも面倒をみることもできませんでしたけど 

説明がとっても遅くなりましたが、そんなこんなが私の半マスオさん状態の真相だったりします 

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あのまま

あのまま大阪で暮らしていたら・・・ 

今でも時々考えてしまいます。

何かに追われるように気ばかりあせり、現状打破を考える日々。

そんな生活を続けていたら妻を病院に連れて行くことはなかったことでしょう。

住んでいた地域に婦人科がなかったので面倒なこともあり、妻も病院に行く決断を下すことはなかったものと思われます。

そうなれば妻の体内でがん細胞は増殖し続け・・・ 

つまり、あのまま大阪での生活を続けていたら妻を死なせていたに違いなく・・・ 

北海道に帰ってくるきっかけとなった次兄、妻を無理矢理でも病院に連れて行くようにと強く言ってくれた長兄には本当に感謝しなければなりませんね。

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