映画二百本

2024年の2月から日曜日や時間のあるときに映画を観るようにしています。

それから去年の5月に百本目の映画を観ましたが、今日の午後、ついに鑑賞本数が二百本に達しました

えり好みせず、アクションからスリラー、ラブコメにミュージカルと、様々な分野の作品を観ています。

少し前、妻と話していたんですけど、実はその二百作品の中で泣けた映画というのがないんですよ

それを避けている訳ではなく、世に言う感動作、名作、『泣ける』という触れ込みのもの、『全米が泣いた!』的なものまで色々と観てはいるんですけどね。

私ならまだしも、妻は割と涙もろかったりするのにウルっとくる程度の作品があったものの、涙が頬を伝うとか、がぉお〜んって泣けるものには出会っていません。

妻の大病、私も大病を経験するなど、悲しいことが色々とあったので、ちょっとやそっとのことじゃ涙が出なくなったんでしょうか

たまには泣いたほうがストレス発散になるといいますし、できれば私達夫婦に感動の渦が沸き起こり、涙がポロポロと止まらなくなるような作品を観てみたいものです。

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謎の鳥 2026-01-28

今朝の散歩で謎の鳥(多分、サギ)をやっと、しっかり見ることが出来ました

実は数日前に、いた!と思ったら飛んでいってしまったんです

白いサギは雪の中にいると見つけにくいのですが、今日は川で発見。

飛び立ってしまわないように、静かにバックからスマホを出して、撮りました。

この冬はまだ見ていなかったので、念願の出会いです

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子どもっぽい

妻が言うんです。

私のしゃべりが子どもっぽくなったって

舌はマヒしていますし、唇もマヒしてますし、上あごはありませんし、義歯の影響もありますから、ゆっくりゆっくり、途切れ途切れに話し、それに加えてあやしい発音なので、どうしても子どもがしゃべっているみたいになってしまうんですよ。

とくに発音がかなり微妙で、『さしすせそ』が『しゃししゅしぇしょ』、『たちつてと』が『たちちゅてと』になってしまうものですから、たしかに子どもがしゃべっているみたいになってしまいます

クリスマシュも、おしょうがちゅも終わって、もうすぐしぇちゅぶん、そのちゅぎがひなまちゅり。

・・・

隣の理美容しちゅのウミちゃんのほうが、よっぽどしっかり話せましゅね

しちゅれいしました

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大雪の影響

今朝の新聞を見て、JRが運休となったため札幌や新千歳空港で一夜を過ごすことになった人が大勢いたと知りました

1日で1メートルも雪が降ったと耳にしていましたが、交通機関は運休するだけでなく、車も動けない状態になっているところもあったようです。

大変だと他人事のように思っていましたが

今日、届けてもらった生協の商品に欠品がありました。

すぐに使うものではなかったので、問題はありませんでしたが、説明をしなければいけない配達の方も大変。

いつも天気予報は、このあたりばかり気にしていましたが、北海道全体の予報も注意して見ようと思います

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コンプラめちゃくちゃ

今でもSpotifyを利用して音楽を流していることが多い我が家です。

ずっと洋楽を聴いていたんですけど、たまには邦楽でもってことで、私達夫婦の生まれ年である1960年代から最近まで、いわゆるニューミュージックやJ・ロックなに分類されるアーティストのヒット曲上位3位くらいまでを集め、1,000曲以上のプレイリストにしてみました。

で、思ったんですけど、古い曲ってコンプライアンスもなにもあったもんじゃなく、今じゃ発禁になるか、その筋の団体から抗議が殺到すること必至であろう歌詞が随所に散りばめられていて愉快です

16歳とか17歳で同棲していることを思わせる歌詞とか、手首の傷がどうしたとか自殺することが美しいと言わんばかりの歌詞、人生を振り返りつつ意識が遠のいて死が近づいてくるという、まるで自殺実況のような歌詞、授業をサボって校舎の屋上で寝転びながらタバコを吸ってみたり、夜の校舎で窓ガラスを壊してまわったり、15歳なのにタバコをふかして盗んだバイクで走り出したりと、もうムチャクチャなのが逆に笑えます。

女性のことを『女』とか『おまえ』と呼ぶのは当たり前、ごちゃごちゃ言わずに黙ってついてこい的な内容とか、かなりひどいことをしたのが別れた原因であろうと容易に推測できる歌詞なんかも山盛りで、もう笑いが止まりません

表現の自由ってやつですし、そんな歌詞が支持されていた時代ですし、細かなことばかり言っていると将来はパンクとか過激系のラップなんかも絶滅してしまいますから、ある程度は許容すべきなんでしょうけど。

そういう意味からすると、現代のアーティストはやりにくいでしょうね。

本当に表現したいことなどを伝えられるのか

私的には、なんでもクレーム対象にする最近の風潮はどうかって思いますし。

もっと自由に表現してもイイんじゃないかと、ええ

がんばれ、時代の反逆者たち

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解散総選挙

衆議院が解散になり、選挙が行われることが決まりました。

今朝の散歩中、もう候補者のポスターを貼る看板が建てられているのを見つけました。

週末の土日の間に建てたようですが、けっこう雪が降っていたので大変だったでしょう

道内では1m以上の積雪があったところもあるので、雪を掘って土まで到達をして、その土が凍っていたらどうやって建てるのか

冬に行われる選挙は、北国はとても過酷なことになりそうです

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入院中の思い出 scene 36 ~胃ろうの日々~

入院中の思い出

造設手術を受けてから抜いてもらうまで、172日間も私の体にあった胃ろうですが、これがなければ生きられなかったのも事実ですし、邪魔で邪魔で仕方なかったのも事実です。

腹に空けた穴にチューブを突っ込み、

抜けないように裏側(胃の中)に留め具が付けられているのですが、
「強く引っ張ると抜けちゃいますからね」
などと、気管切開チューブの時と同じように看護師さんが軽〜く言ってくれたりするので、寝ている間に引っ張ってしまわないかドキドキの毎日でした

このチューブに大きな注射器のようなもので栄養剤を送り込み、

必要最低限のカロリーや栄養を補給していたのですが、これがなかなかな面倒で

まずはチューブの先端を洗浄してから栄養剤を何度にも分けて注入し、それが終わるとチューブ内を洗浄するために水を流し、再び先端を洗浄、そして胃ろうがなるべく動かないように固定する必要があります。

所要時間は30分以上といったところで、普通の人の食事より時間がかかっていました。

胃ろうを固定しても、やはり微妙に動いたりするのもですから腹に刺さっている部分にイボができたり化膿したりすることもあり、就寝時に寝返りをうって腹の左側が下になると痛くて目を覚ましたことも一度や二度ではありません

おまけに固定のために貼っている絆創膏に皮膚がかぶれ、かゆいのなんのって

ずっと絆創膏を貼っていたので、そのネバネバが皮膚に残り、それがいつまでも取れないような錯覚を起こし、しばらくの間はシャワーを浴びながらガリガリと爪を立てて取ろうとしたものです。

口からチューブを入れると吐き気を伴いますので、胃ろうという処置が考案されたのでしょうけど、それはそれなりに面倒だったり辛いものがありました。

やっぱり、もう嫌ですね、あんなことは

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足跡が消える

今朝、猫の足跡を見つけました。

お隣の塀から我が家の方に降り立ったと思うのですが、雪が積もっているところだったので、きっと体の半分が埋まったのではないかと。

びっくりしたでしょうね

夕方からまた雪が降り出し、ご近所の方たちも雪かきを開始。

窓から覗くと、朝見た猫の足跡も雪で消えていました

まだ雪は止んでいないので、明日も除雪が必要になりそうですね

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スマイル缶バッチ

子供の頃、スマイルの缶バッチが登場しました。

田舎に住んでいたので現物を見ることはなく、子供雑誌に載っているものを見て知ったような気がします。

まだキャラクターということも知らずに、なんとなく可愛いと思って眺めていたんでしょう。

それで手芸の得意な亡母が、黄色のフェルト2枚を丸く切り、中に少し綿を入れて重ねて縫い合わせ、顔は黒糸でステッチして作ってくれました

紐も付けてぶら下げられるようにしてくれたので、喜んで付けていました。

当時は今のようにランドセルに何かを付けるという習慣はなく、そんなことをすると目立つので学校には持って行かず、うろ覚えですが習い事のバックに付けていたんでしょうか。

それを見た1学年上の次兄は、いいなと思って自分の分も母にお願いしていました。

しかも私が作ってもらったもの2倍くらい大きなもの

どこに付けたのか知りませんが、友達からいいねと言ってもらったらしく、友達の分も母にお願いしていました。

4~5個くらいかな

自分だけでなく友達の分も、というのは次兄らしいなと懐かしく思い出したりしています。

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身の上ばなし ROM-9 ~誰の祖父母~

身の上ばなし

オキザキ3姉弟とは互いに微妙な気を使いながら、つつがなく暮らしておりましたが

ある日、何がきっかけだったか覚えていませんけど、隣に住むオキザキ爺ちゃんと婆ちゃんは誰の祖父母なのかで大揉めしたことがあります。

そりゃあ当然、オキザキ3姉弟の祖父母に決まってるんですけどね。

しかし、私にだって数年間も毎日暮らし、育ててもらったという自負(?)があるものですから、
「俺の爺ちゃんと婆ちゃんだっ
と言って譲りませんでした

それなら直接聞いて白黒はっきりさせようじゃないかということになり、私と3姉弟が訪ねていくと家にいたオキザキ婆ちゃんは少し困ったような、そして少しうれしそうな優しい顔で
「みんなの婆ちゃんだからね」
と言ってくれたのを覚えています

そのオキザキ婆ちゃんが亡くなったのは1997年、私が34歳の時。

当時は大阪で会社を設立したばかりの頃で忙しくしており、弔いに行けなかったことは今でも心残りで、悔やんでも悔やみきれません

しかし、状況が状況でしたから、優しいオキザキ婆ちゃんは優しく笑って許してくれることでしょう。

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