母が救急搬送されて緊急入院となったのは平成31年4月4日のこと。
その母に悪性腫瘍の疑いがあると医師から告げられたのは4月5日
横行結腸がんのステージ2であることを告知されたのが4月13日
がんを摘出する手術をしたのは4月24日。
そして、令和元年5月15日の昨日、無事退院となったわけです。
平成に入院して令和に退院 年号をまたいでの大騒ぎでした
妻が子宮体癌を発症し、夫が扁平上皮癌を発症してしまった夫婦の闘いの日々
母が救急搬送されて緊急入院となったのは平成31年4月4日のこと。
その母に悪性腫瘍の疑いがあると医師から告げられたのは4月5日
横行結腸がんのステージ2であることを告知されたのが4月13日
がんを摘出する手術をしたのは4月24日。
そして、令和元年5月15日の昨日、無事退院となったわけです。
平成に入院して令和に退院 年号をまたいでの大騒ぎでした
ありがとうございます (^o^)/
ありがとうございます \(^o^)
ついに母が退院いたしました。
本当にありがとうございます \(^o^)/
これでもう連日のように病院に足を運ぶ必要はなくなりました。
こんな嬉しいことはありません
いえ、母が高齢であるにも関わらず無事に手術を終えて退院できたことも、もちろん嬉しくはあります。
これかららはもう会話にもならない毎日の虚無な言葉のやりとりが不要になりました。
こんな嬉しいことはありません
いえ、がんを克服して母が退院できたことも、もちろん嬉しくはあります。
これでもう毎日のようにつまらない時間を過ごす必要がなくなりました。
こんな嬉しいことはありません
いえ、母が元気になったことも、もちろん嬉しくはあります。
これでもう地獄の日々から開放されたという喜びに言葉もございません
実は日曜も昨日も病院に行かなかったんですよね
もう退院も近く、母も元気なので私達夫婦の療養を優先した訳です。
二日ぶりに母と話をすると、なんだか少し様子が違いまして
あれだけひどかったせん妄状態の症状がびっくりするくらい軽くなり、今日は最初から最後まで会話が成立して同じ話を繰り返したのは一度だけでした
そんなことってあるんでしょうか
前回、美容室から帰ってくると同室の患者さんと話をしていたので、人と会話することで回復したのか、退院が決まって気力が充実してきたのが原因なのか分かりませんけど。
とにかく私たち夫婦がとまどい、口をあんぐり開けたままになるほどの復活ぶりなんですよ、これが
人間の体というのは本当に不思議なものです
今日は火曜コースを歩いてきました。
小学校裏の川沿いを歩くと、八重桜が咲いていました
いつもの公園や広場も咲いているようなら、またお花見ランチをしたいと思っています。
近所の犬にも会ってきました
おとなしくこっちを見ていると思ったら、飼い主さんが車から出てきました。
私達ではなく、飼い主さんを見ていただけなのかも
そして、お昼前に義母の入院先に行ってきました。
お昼ご飯が運ばれてきたので見せてもらうと、今日はおかずが少ないような
腸の手術をしているので、これくらいでいいのかもしれませんが、私ならすぐにお腹が空いてしまいそうです
今日の血圧
朝 131-83(心拍数 53)
夕 120-77(心拍数 62)
妻と話していたんですけど
いえね、母は何歳まで生きる気なのかと
今回の件もあって、色々と考えるところがありまして。
がんと診断された際に一応は覚悟を決めたんですけど、超高齢者のくせに手術に耐えうる体力があったので腫瘍を摘出することができましたから、まだ当分は生きてるんでしょうし
摘出された部位を見せられ、執刀医から受けたレクチャーによると、がん細胞がそこまで増殖するには 8年程度の期間があっただろうとのことで。
今回、腫瘍を取り切れていなかったとしても、どこかに転移していたとしても、同じような大きさになるには 5~8年は必要ということになり。
そのころ母は95歳前後で、私たち夫婦は 65歳前後。
以降は超老々介護になって体力的にもしんどいでしょうねぇ
できることなら、そのあたりで手を打っていただければ幸いに存じます。