今朝は少し雪が積もっていたので、水曜コースを短縮して歩いてきました。
家に戻ってからは軽く除雪。
そして今日は私の次兄の命日です。
お墓は近くにありますが、昨日行ってみたところまだ雪がこんもり積もっていて、お参りは出来ません
今日は仏壇に次兄の大好きだったSAPPOROクラシックビールと雪印の6Pチーズをお供えをして、お参りをしました。
早いもので、もう10年が過ぎました
今日の血圧
朝 130-85(心拍数 53)
夕 133-86(心拍数 60)
妻が子宮体癌を発症し、夫が扁平上皮癌を発症してしまった夫婦の闘いの日々
今朝は火曜コースを歩いてきました。
そして午前中はスーパーで買い物をして、午後からは義母の施設へ行ってきました。
まだ雪が積もっているので自転車には乗れません。
飲み物などちょっと重たいものがあり、今日は一人で施設へ行かなければいけなかったので、バスに乗って行ってきました。
近くのバス停までは数分ですし、この手があったか!と思ってしまいました
飲み物や頼まれていた乳液やヘアースプレーなどを届け、帰りは手ぶらなので歩いて帰ってきました。
午前中もたくさん歩き、今日は足が疲れました
今日の血圧
朝 131-85(心拍数 55)
夕 132-83(心拍数 60)
今日はやっと頭痛が治りました
朝起きると痛みはほぼなくなっていたので、午前中は家の前の除雪を夫と一緒にしました。
そのときは痛みはなくなっていたという程度でしたが、夕方には頭がスッキリしてきました。
明日からは朝の散歩もラジオ体操も、すべて復活する予定です
今日の血圧
朝 130-84(心拍数 55)
夕 131-71(心拍数 62)
今朝も頭が痛くて目を覚ましましたが、昨日よりも鎮痛剤の効きが早く、夕方にはかなり良くなっています。
いつものことですが頭痛のときは音や光に敏感になるので、あまりテレビは観たくないのですが、一応オリンピックが気になり、フィギュアの結果を観ていました。
男子シングルは金銀とすばらしい結果でしたね。
そしてテレビにニュース速報が出て、将棋の藤井五段が勝利して六段になったと
ついこの前まで四段で、札幌雪まつりの市民雪像では「藤井四段」というタイトルで雪像ができていたのに、いつの間に五段になっていたんでしょう
この調子だと藤井六段という呼び方に慣れる前に、藤井七段になるかもしれないですね
今日の血圧
朝 122-79(心拍数 66)
夕 132-85(心拍数 57)
ここ数日、頭痛になりかけていたので早めに鎮痛剤を飲んで抑えていました。
水曜日は札幌の外来へ行くことになっていたので、なんとか回避できたと思っていたのですが、夜中に頭が痛くて目を覚ましてしまいました
朝の散歩はパスしてもらい、鎮痛剤を飲んで痛みがひくのを待っています。
午前中は薬を飲んでもなかなか効いてくれなかったのですが、2度目の薬を飲んでからやっと効いてきました。
このところ頭痛は軽くなって回数も減ってきたと思っていましたが、 久しぶりにガツンと来ました
今日の血圧
朝 146-97(心拍数 68)
夕 127-86(心拍数 64)
頭痛のせいか、朝の血圧は異常に高かったです
今朝は少し雪が積もっていたので散歩をパスして雪かきをしました。
昨日の外来で前回の血液検査の結果を貰ってきました。
CEA 1.2(前回 1.3)
CA125 13.0(前回12.1)
CA19-9 2.2(前回 3.1)
総コレステロール 193
特に問題はなく、診察のあとは卵巣がんの患者仲間と会ってランチをしてきました。
お昼のピークの時間を過ぎていたので、ゆっくりご飯を食べながらおしゃべりをしてきました
彼女はずっと大学付属病院に通っていますが、外来は半年毎に行くようになったそうです。
お互いに転移や再発のリスクが減ってきているようで安心しました
今日の血圧
朝 136-88(心拍数 62)
夕 138-83(心拍数 59)
妻は早朝から定期通院で札幌に行っているので一人で留守番している夫です
私は在宅勤務と言いますか、家で仕事をしているので妻がいなければ誰とも話をしません。
仕事柄、大抵のことはメールや LINEで済ませるのでお客さんと会話することもなく
つまり今日のように妻が出かけると、早朝に
「いってらっしゃ~い」
と言ったのを最後に一言もしゃべらず、声を出す機会がない訳でして。
そのまま 12時間以上が経過し、妻が帰ってきたときに
「おかえり~」
と言うとガッサガサの声が出て自分でも驚くことがあります
声帯も使わなければ、劣化といか退化するものなんですね。
妻はもうすぐ帰ってきますけど、今日はまともに声が出るでしょうか
少し前にも書きましたが、母は施設でとても快適に暮らしています。
稀なことだとは思いますが、施設で虐待を受けたという報道を見聞きしたりすると、母が親切な職員さんと看護師さんに囲まれて過ごしていることに感謝しなければと改めて思ったりする訳で。
入居者に派閥のようなものがあって仲が悪かったり雰囲気の悪い施設もあるようですが、そのような話もなく他の入居者さんとも仲良くしているようですし
母が一人暮らしを続ける自信がなくなったとギブアップしたのが 2015年の秋。
それからボチボチと施設を探していたものの、事態が急変したのが 2016年の初夏。
その時、たまたま空いていたのが今の施設で、それから 3カ月後には入居という電光石火の日々を経て現在に至る訳です。
施設は現在、入居待ちが続いていて簡単には入ることができないみたいでして
あの日、あの時、偶然にも部屋が空いていたことに、心から深く深く感謝する次第です