今回、母がガンだと分かったんですけど。
実は身内がガンになるのは六人目なんですよね。
発症順に
- 妻の母
- 私の父
- 妻の父
- 妻の兄
- 妻
- 私の母
・・・
これはもう、国民病だから仕方のないことなのかも知れません。
しかし、いくら一生涯だと二人に一人がガンになる時代とはいえ、恐ろしさすら覚えてしまいます
この調子だと、次は私の番かもとか思っちゃいますね
妻が子宮体癌を発症し、夫が扁平上皮癌を発症してしまった夫婦の闘いの日々
今日は散歩は休んで朝食も早めに終わらせて、早い時間に義母のものを取りに施設へ行ってきました。
午後から着替えなどを持って、私一人で病院へ行ってきました。
4人部屋にいますが入れ替わりが早く、お二人は退院をして別の方が入っていました。
脚力が落ちないように一緒に廊下を歩いて、エレベーターまで見送ってもらおうかと思ったのですが、デイルームの場所を教えたところ、そこにあるテレビを見ると言っていたので、デイルームで別れてきました。
ベット横にあるテレビはイヤホンを使わなければいけないので、それはちょっと面倒らしく、部屋のテレビは使っていません。
デイルームまで歩いて、テレビを見るのはちょうど良い運動になりそうです
今日の血圧
朝 106-65(心拍数 53)
夕 114-72(心拍数 59)
数年前、まだ母が故郷で暮らしている頃、大腸炎で入院したことがあるんですけど、その際にガンの兆候はなかったんでしょうか
今回、母が失神したのは貧血が原因ですが、その貧血の原因は腸からの出血ということです。
2018年に貧血症が進んでいると指摘されたんですけど、その時は腸に異常はなかったんでしょうか
色々と考えないでもありませんが、それはそれで仕方のないことではないかと。
これで母が 50歳や 60歳であれば、どこかの誰かに文句の一つも言ってやりたくなるかも知れませんが
もう 90近いので、自分も含めた誰かを今さら責めるつもりもなければ後悔することもありません。
私は無信者ですが、きっと神の思し召し、運命だったのでしょう
病院の廊下を歩く母の後ろ姿を見ていて気づいたんですけど
まだ故郷で暮らしていた2015年から16年、母は右足に強い痛みを感じていて歩くのもままならず、同じ姿勢で座っているのさえ辛いという時期がありました。
ところが、ゆっくりではあるものの足を引きずる訳でもなく普通に歩いておりまして。
その件を聞いてみると
「あれ そういえば、いつの間にか痛いの治ってる」
などと言うではありませんか
治療もせず勝手に治るなんてことがあるんですかね
やはり我が母は不死身。
今回の横行結腸がんも、ちょっと気合を入れたら自然治癒するんじゃないでしょうか
母が達観してるので、私たち夫婦も精神的には楽なものです。
がんになってしまった、死にたくないと泣かれると辛いでしょうけど、母はビックリするくらい冷静なので心のケアは必要なさそうですし
今回の件は父方の親戚縁者、母方の親戚縁者にも知らせないという母。
もし手術中に最悪の事態となって死んでしまっても誰にも知らせず、私たち夫婦だけで葬儀、火葬を済ませ、すべて終わってから公表するようにという御下命をいただきました
どこまでも、どこまでもドライな母です
それでも多少は心境の変化があったのか、いつもはベッドで手を振る母が、私たちが帰る際に廊下まで出てきて手を振っておりました。
医師からの説明を聞き終えて病室に向かう際、誰の手を借りる訳でもなく杖をつきながら自力で歩く母。
動揺してはいまいかと心配する私たちをよそに
「大事(おおごと)になったもんだねぇ」
などと他人事のように言います
病室に戻り、
「だいじょうぶ 」
と聞くと
「ぜーんぜん」
と言い、あっけらかんとしていまして
「この歳まで生きられたんだから、あした死にますよって言われてもハイそうですかっていう感じ」
なんだそうでございます。
母がドライな性格なのは知っていましたが、ここまでとは思っていませんでした