以前の記事に書いたように今年は母の年賀状印刷も請け負った訳なんですけど
そう申し出て、パソコンで住所録を作成してくれた妻に感謝すべきでしょう
これは、つまり、母の交友関係であり、その住所録も出来上がったということになります。
そう遠くはない将来、きっとその日はやって来るでしょう。
そうなった時、母の知人には訃報をお知らせしなければなりません。
奇しくもその情報をデータベース化できたということであり・・・
いえね、なるべくなら、これを使う日が遠ければ良いとは思っていますよ
妻が子宮体癌を発症し、夫が扁平上皮癌を発症してしまった夫婦の闘いの日々
以前の記事に書いたように今年は母の年賀状印刷も請け負った訳なんですけど
そう申し出て、パソコンで住所録を作成してくれた妻に感謝すべきでしょう
これは、つまり、母の交友関係であり、その住所録も出来上がったということになります。
そう遠くはない将来、きっとその日はやって来るでしょう。
そうなった時、母の知人には訃報をお知らせしなければなりません。
奇しくもその情報をデータベース化できたということであり・・・
いえね、なるべくなら、これを使う日が遠ければ良いとは思っていますよ
たまに叔母と話をしますが、そのたびにこの街への移住の説得を試みています。
叔母は札幌に住むと言い張っていますが、札幌は田舎に比べると遥かに治安が悪い訳ですし。
一人住まいなどしてアパートやマンションに昼夜を問わずに騒ぐ若者がいたら・・・
たちの悪い住人がいてトラブルに発展したら・・・
独り歩きしていてひったくりにでも遭遇したら・・・
そんなこんなで心配は尽きません
札幌は叔母が想像しているより雪が多く、除雪だって大変です。
叔母が希望するような買い物に便利で病院も近いという好立地、さらに低家賃などという夢のような物件などあるはずもなく。
・・・・ などなどと忠告してやると、最近は少し悩むようになってきましたけど。
一緒の街に住むための説得工作は実を結ぶでしょうか
今年は明日から帰省し、実家で年越することにしました。
実は私、超超親不孝なものですから・・・
最後に実家で年越しをしたのは 2001年のことでして
父が鬼籍に入ったのが 1994年のことなので、母は2002年から一人で正月を迎えています。
そもそも 2001年の帰省の際、
「なにもこんなに寒い時期に帰ってこなくても・・・」
などと言い出したのは例の叔母なんですけどね
当時は大阪に住んでいたこともあり、遠い故郷まで帰るのが面倒だったこともあり。
おまけに冬の北海道は天候の急変で交通が遮断される可能性もあり、仕事に支障をきたす危険性もありまして。
色々な理由をこねつつ帰省しなくなって早くも14年
しかし母が一人暮らしを諦めた今、故郷で正月を迎えることができるのは・・・、家族だけで新年を迎えることができるのは・・・、今年が最後になるのではないでしょうか
そんなこんなで今年は帰省することにした訳です。
順番待ちですぐに施設に入ることができず、一年も二年も待つようなことになったりすれば来年も実家で正月を迎えるかも知れませんけどね
帰省した際、要介護認定を申請した結果が今月中に届くのか尋ねると、
「もう来てるよ」
などとツラっと言ってのける母です
あれだけ真剣に話し、渋るのを説得して申請させ、母の住む街の担当者ともやりとりしたのですから、結果が届いたなら何をおいても真っ先に知らせるのが筋ってもんじゃないでしょうか
まあ、我が母は昔から合理主義的なところがありますから、どうせ帰省してきたら話しをするのだから連絡する必要はないと思ったのかもしれません。
で、結果なんですけど『要介護』とは認定してもらえず『要支援2』となりました
それほど弱っていなかったと喜ぶべきかもしれませんけど、要支援では受け入れてくれる施設は極端に少なくなります。
昨年末時点で把握している受け入れ施設は一箇所のみ、それも 26人待ちという状況でして
母が一人暮らしに不安を持つようになってしまった以上、これからは入居待ちの間だけ住むサ高住をこの街で探すことになりそうです
帰省した際に例の叔母の家にも行き、この街への移住を勧めました。
しかし、やはり首を縦に振りません
相変わらず
「私は人の世話をするのには慣れているけど人の世話になるのには慣れていないのよ」
などと言っています。
世話などしてやらないからせめて同じ街に住もうと言っても聞く耳を持たず・・・
それでも少しだけ安心したのは、一緒の街に住もうと叔母に声をかけているのは我が家だけではなく、母方のきょうだいの息子や娘、つまり甥っ子やら姪っ子からも誘われているらしいんですよね。
母方の親類であれば、父方の籍を持つ私に世話になるより気が楽でしょうし。
それでも昔から世話になっている叔母なので、これからも折にふれて話してみようと思います
実家では、母親と一緒にゴリラのぬいぐるみが暮らしています。
ふてぶてしい顔で、なんだか小憎たらしい奴なんですよね
私はテレビを見る時だけメガネが必要なので置き場に困っていたもので
とりあえずゴリラにメガネをしてやりました。
これがまた輪をかけて憎たらしくなったりしまして
今週になってやっと母の施設探しを始めました。
包括支援センターに電話すると、
「こちらに各施設のパンフレットなどがあります」
「申し込みはそれぞれ行っていただき・・・」
とのことでして
つまり、斡旋してくれる訳でも空き状況を確認して段取りしてくれる訳でもなく、単に案内所としてしか機能していないのかと少なからず失望してしまいました
翌日、とりあえず行ってみると決してそんなことはなく・・・。
やはり実際には空き状況の確認も段取りもしてはくれませんけど、各施設に入居できる基準、料金体系、待機人数の考え方など詳細に教えてくれます
そして、いよいよ施設に入居する段になれば、市に提出する支援に関わる書類の作成や手続きなどを代行してくれるのだとか。
どうやら、いざという時に頼りになる組織なようです
施設探しをして初めて知ることも多いものでして。
残念ながらこの街にはサービス付き高齢者向け住宅、俗に言うサ高住はないらしいんですよね。
そして、特別養護老人ホーム(特養)には要支援では入れず・・・
自治体によって違いがあるかも知れませんが、この街の特養は原則として要介護3以上でなければ入れないのだそうで。
『原則として』というのは、痴呆の診断があれば要介護1からでも入れるからということらしいです。
その他にも軽費老人ホームC型、いわゆるケアハウスも市内に点在しているのですが、そちらの多くは痴呆をともなう重度の要介護状態の人が対象とのことなので要支援の母はダメ
食事だけは準備してくれて入居者が集まって食べる、いわば食堂つきマンションのような物件もありましたけど、そんなところだったら知り合いの多い今の街に住むと母は言うでしょうし。
色々とあるものですが、一つずつ勉強して覚えるしかなさそうです