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居酒屋:30代半ば 2

『居酒屋』一覧

火事になってしまった店の一番奥には小さな個室がありました。

そこは 6人くらいが使う程度の広さだったと思いますが、そこに最低でも飲み仲間の 8人、さらに女子社員も加わって 10人以上が詰め込まれ、酸欠になりそうになりながら飲み食いすることもしばしばで 

部屋の奥に座ろうものならトイレに立つのも一苦労、人の背中をまたぐようにして出なければならないんですよ 

それほど当時は忙しい店で、店内はいつも酔客でいっぱいでした。

ある日、予約なしに店に行ったところ、満席だったので帰ろうとするとママが二階を使えと言います 

二階はマスターとママが暮らす住居なのですが、その部屋に案内されて生活感漂う居間のテーブルで飲み食いしたんですよね。

今回の火事は、その居間の床下で発生した漏電が発火源だと聞いています 

あの楽しかった光景と、火災現場となってしまった部屋が同じ場所だとは、どうしても想像することができません 

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居酒屋:30代半ばから40代半ば

『居酒屋』一覧

ママとは 30年以上の付き合いになりますが、実のところ 10年の空白がありまして。

楽しい日々に終わりを告げたのは、私が転勤になったのが原因です 

務めていた会社の本社がある大阪への転勤命令が出てしまったんですよね 

最初の数年は帰省のたびに札幌を経由していたのですが、そのうちに実家のあった町の近くの空港を利用するようになり、その帰省もなかなかしなくなったので、30代半ばから40代の頃は一度も店に顔を出していません。

しかし、このブログにも書いたように妻の兄の大病があったため、10数年の大阪生活に見切りをつけて北海道に帰ってくることになりました。

そして発覚した妻の大病 

その病気の手術、治療に選んだのが札幌の病院でした。

そして再び、居酒屋通いが復活することとなります 

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居酒屋:40代半ば

『居酒屋』一覧

約10年ぶりに店に行こうと決めた日、私と妻は互いに約束しました。

たとえ店が潰れて他の店に変わっていようと悲しまない、店があったとして、たとえママとマスターの二人がそろっていなくても悲しまないと 

少しずつ店のあった場所に近づくにつれ、心臓がドキドキしたのを今でも忘れません。

少し離れた場所からでも赤ちょうちんが出ているのが見え、店名も変わっていないと分かりました。

そして店の前でしゃがみ込み、鉢植えの花を手入れしている姿は間違いなくママです 

すぐ近くに立ち止まり、
「久しぶり」
と、かけた声に反応し、こちらを見上げるママの目は、訝しげなものから喜びの表情に変わり、私の手をグイグイと引きながら店に入って
「マスター  マスター
と大きな声で叫びました。

店には年に一度しか行けませんでしたが、その日から再び楽しい時間が動き始めたのでございす。

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居酒屋:50代前半

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久しぶりに会ったママもマスターも変わりなく、一気に昔に戻ったような気がしましたが、実は数年前にママの体に大腸がんが見つかって手術をしたと知らされました 

妻が子宮体がんの手術を受ける直前のことでしたので、ママに心配ないと言ってもらってずいぶんと勇気づけられたものです。

妻の手術、化学療法も終わり、年に数回の検診になった後も、私の実家への通り道だったこともあって帰省の際には札幌で一泊する行程を取り入れ、年に一度は店に顔を出すようにしていました 

再び通い始めて 6年目の 2014年2月25日、いつものように札幌の夜を楽しもうと店に行くとママの姿がありません。

マスターの話では、前月の 1月にママがくも膜下出血で倒れたとのことです 

本当に危ないところだったにも関わらず、急いで病院に連れて行ったため一命をとりとめ、後遺症も残らなかったのは奇跡的なことだったのですが、それ以降は体力も気力も衰て疲れやすくなってしまったので、あまり店には出たがらないとのことでした。

それでも私と妻が店に行くと、フラフラしながらも顔を見せてくれたのは嬉しい思い出となっています 

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居酒屋:50代半ばから現在

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母が一人暮らしをあきらめ、私と妻の暮らすこの町にやってきたのは2016年9月10日のこと。

帰省のついでに札幌に一泊し、居酒屋に顔を出すというのがパターンでしたが、帰省の必要がなくなったため札幌で泊まる理由もなくなってしまいました。

しかし年に一度の事とは言え、せっかく付き合いが続いているのですから母ごときのために止めるのもどうかと思い、暑くもなく寒くもない 10月の妻の検診の際に一緒に札幌に行き、店で飲み食いして一泊するという新たなパターンを構築した私達夫婦です 

昨年も 10月の検診の際には一緒に札幌に行き、楽しいひと時を過ごしました 

しかし、それがママとの付き合いの最後の日になってしまうなんて。

・・・ 

行きたくても店はもうありません。

会いたくてもママはもういません。

30年以上も続いてきた思い出が、突然途切れてしまいました 

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居酒屋:あの日~これから

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店の上階にある住居部分から出火したのは 6月23日。

長い付き合いだったママが焼死。

若い頃、一緒に楽しい時を過ごした昔の仕事仲間から一報が入ったのが 26日の昼。

その後、ママの通夜が行われる斎場の情報を入手できたのは同日の夕方近くになってから。

通夜がその日の夜だったため札幌に行く手段がなく、取り急ぎ弔電の手配だけを。

翌 27日の夜、ママの夫でもある居酒屋のマスターから涙ながらの電話。

・・・。

マスターは弔電のお礼に電話してきてくれたのですが・・・。

私が電話に出ると、
「ママが死んじゃったぁ・・・」
と、泣きじゃくる声が聞こえてきました。

マスターはママを亡くしたことを悔やみ、自分を責めます。

昨年の 10月に会った時は店に出ていたママですが、年末から年始にかけて急激に体調が悪化したとのことでした。

大腸がんの手術をした影響でリンパ浮腫となって足が 2倍くらいになるまでむくみ、歩行に支障を来し始めたのと同時に痴ほうを発症してしまったのだとか。

それが進行性だったらしく、6月に入ってからは寝たきりとなってしまい、25日からひとまず病院に入院して受け入れてくれる施設をさがすことになっていた矢先の 23日に火事が発生してしまったのだそうです。

朝、いつものようにママを入浴させて食事を済ませ、マスターは外出しました。

その外出中に火が出たのですが、その原因は床下で発生した漏電の可能性が高いとのことです。

マスターは、
「あの時に外出しなければ・・・」
「一緒にいれば助けてやれたのに・・・」
と自分を責め、声も途切れ途切れにむせび泣いています。

私には慰めの言葉も見つかりません。

しかし最後には、あの場所でもう一度店をやりたい、ママのためにも店を再建すると言っていました。

自分には何もできませんが、可能であれば想い出がつながることを心から願っています。

そして、その日が来ることを心待ちにしたいと思っています。

マスターは、必ず店を再開してくれることでしょう。

再開に続く

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開店記念日

昨日の 9月18日は今年 7月の火災でママを亡くした居酒屋さんの開店記念日でした。

開店 30周年、35周年と歴史を重ねてきましたが、今年はそれを祝うことができません 

あれからマスターとも話していないんですよね。

店を再開する目処はたったのかなど聞きたいことは色々とあるんですけど 

寂しい思い、つらい思いをしているのかと思うと何と声をかけたら良いのか。

私の気持ちがもう少し落ち着いたら電話してみようと思います 

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居酒屋:再開(1)

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火事でママを亡くした居酒屋のマスターから、場所は移転するものの店を再開させるとの嬉しい知らせがあったのは今月初めのこと 

そう、あの若い頃から通っていた居酒屋のマスターです。

昨年末、そろそろ連絡してみようかなどと考えてはいたんですけど 

ママを喪ったショックから立ち直っているだろうか。

店があった建物の家主と裁判沙汰になっていやしないだろうか。

まだまだ悲しかったり忙しかったりするんじゃないだろうか。

などなどと勝手な想像をしてしまい、電話するのを躊躇していたんですよね 

実はその間もマスターは私に連絡しようと必死だったようでして 

伝えていた電話番号に何度電話しても通じず、困っていたのだそうです。

やっと連絡がついたと言うマスターは、涙声で喜んでいました 

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居酒屋:再開(2)

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私が電話に出るとマスターは
「良かったぁ~、連絡できなかったらどうしようかと思ったぁ~」
と声を震わせ、涙ながらに
「だって・・・ママの・・・ママのお客さんだったしぃ~」
と声をつまらせます

何度も何度も電話したのに、番号を押し間違えたのか
— おかけになった電話番号は現在使われておりません —
というアナウンスが流れ、眼の前が真っ暗になっていたのだそうです。

マスターは
「酔ってかけたのが悪かったのかなぁ」
などと言っておりましたが

確かマスターは下戸で、お客さんに酒を進められても一切口にすることはなかったはずです。

ママを亡くした悲しみからか、寂しさを紛らわすためなのか、呑めない酒を口にするようになったのでしょうか

だとすれば、酒に溺れ、依存してしまう前に店が再開できる目処が立って本当に良かったと思います

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居酒屋:再開(3)

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大変な思いをしたマスターから連絡が来て店を再開すると聞いた時、私と妻は本当に心から喜びました

再開の地は私達が結婚して一緒に暮らし始めた建物から歩いて行ける距離。

なんだか不思議なめぐり合わせを感じてしまったのは言うまでもありません

そして、なんと今日、27日が新しい店がオープンの日

来月、3月の中旬は妻が定期検診で札幌に行きます。

私もそれに同行し、再開した店に顔を出してくるつもりなんですよね。

そこにもうママはいませんし、以前の店があった場所とは東西で正反対になりますが

それでも、あの焼鳥のタレを再び味わえるかと思うと今から楽しみで仕方ありません

『再開と再会』に続く

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